2010年11月8日月曜日

アメリカ知財について

アメリカ知財についていい記事が見つかった。
アメリカこれほど知財の罠をしかけているとはね。

米国企業の知財戦略(次世代のマイクロ・ソフト)
5-18-04(発明通信)

1 背景

2002年度における企業別の特許権取得件数が発表されたことは前回紹介した。その中で、特に注目を集めるのは、マイクロ・ソフト社の積極的な知財戦略である。この年、同社の特許取得件数は何と499件に達した。この実績は、全世界の企業中、34位に相当する。


1970年代からソフトウエアの開発を主たる業務としたマイクロ・ソフト社にとって、知財活動の中心は著作権であった。だから特許権の取得には、やや消極的であった。事実特許権の取得件数は、1990年代にいたるまで、年間50件を超えたことはない。


だが1980年代後半から、世界の知財戦略は、特許を中心に展開し始めた。ターニング・ポイントとなったのは、1981年ディーア事件における連邦最高裁判決である。最高裁は、コンピュータを用いたゴムのキュアリング方法に関し、ソフトウエアの特許性を認める画期的な判決を下した。さらに、1982年には、特許を専門とする高裁(CAFC)の設立によって、米国のプロパテント政策は、企業の特許活動を強烈に刺激した。


この動きは経済を力強く先導し、1990年代には、米国経済は完全に復活した。中心となったのは、コンピュータ、通信、そしてバイオ産業である。1998年には、ステート・ストリート銀行事件を機にビジネス・モデルの特許性も認められ、米国経済は知財を軸として回転し始めた。


米国プロパテント政策を最も効果的に活用し、利潤を大幅に伸ばしたのは、コンピュータの巨人IBM社であろう。1935年から1984年の間、IBMのライセンス収入は、10億円を超えたことがない。1980年代後半、ライセンス交渉のエキスパートとして知られるマーシャル・フェルプス氏を起用したところからIBMの知財戦略は、大きく転換した。


2000年、そのライセンス収入は、1700億円(16億ドル)を超えた。そしてIBMの特許戦略をモデルとして追いかけ始めたのがマイクロ・ソフトである。

2 IBMとの確執
マイクロ・ソフトがIBM社の知財戦略の見事さに着眼した背後に、実は一つ事件が存在する。IBMは、1980年代後半からソフト・ウエアに関する特許権の強化に力を入れ始めた。1990年代初頭には、同社のパテント・ポートフォリオは、量質ともに世界中の競業企業を圧倒した。


だがその時点では、マイクロ・ソフトは、特許権には少々無神経であった。マイクロ・ソフトの主要製品ウィンドウズ3.1が市場を制覇したとき、IBMは同社のパテント・ポートフォリオをマイクロ・ソフトにつきつけた。マイクロ・ソフトは全社を挙げて、特許権を回避すべく設計変更に乗り出した。だが数百件からなるIBMのポートフォリオは、強力な防御壁を構築しており、回避は不能であった。ウィンドウズ主力製品の差し止めは致命的である。マイクロ・ソフトには和解の道しか残されていなかった。IBMから要求された条件は二つある。第一に、3千万ドルの和解金の支払い、そして第二に、ウィンドウズのソースコードの提出である。


第一の条件はマイクロ・ソフトにとって問題とはならないが、第二の条件は難問である。マイクロ・ソフトにとって最も重要な企業資産であるソースコードが漏洩の危険にさらされる。だが選択の余地は見出せない。天才的企業家ビル・ゲイツ氏にとって屈辱の選択であった。

3 新たな戦略


世界のソフト業界の頂点に立つマイクロ・ソフトだが、その収益構造は少々いびつである。製品の範囲は広いが、主たる収益源はオフィスとウインドウズに限られる。


IBMとの激烈な特許係争は、マイクロ・ソフトにとって貴重な経験となった。安定した収益源を確保するためには、新たな知財戦略を欠かせない。IBMとの係争を屈辱的な和解で終結した直後、ビル・ゲイツ氏は幹部社員全員に対し、Eメールで指示を送った。
「ビジネスを始める前に、取れる特許はすべてとれ」


この方向転換は、短期間に成果を上げ始めたように思われる。2002年における特許取得件数499件は、一つの表象である。リナックスを初めとする無料ソフトの進出を警戒するマイクロ・ソフトにとって、これらの特許は最も有効な武器になるであろう。


ビル・ゲイツは考えた。
荒っぽい特許権の行使は、司法省あるいは各州政府による独禁法発動のリスクが伴う。最も安全かつ長期的な権利の活用法は、ライセンス契約を効果的に進める戦略にあるだろう。だが、ライセンス交渉を巧みに進めるためには、高度の知識と経験を要する。マイクロ・ソフトには残念ながら、ライセンス交渉に関する第一級のエキスパートは見当たらない。それならば、世界で最も実績のある男マーシャル・フェルプスをIBMからヘッド・ハントすればよい。


ビル・ゲイツの行動は速い。マーシャル・フェルプスは、今マイクロ・ソフトのライセンス戦略室のリーダーとして動き始めた。マイクロ・ソフトのライセンス戦略は、明らかに変わり始める。基本的に、かつてのIBMの戦略を踏襲することは間違いあるまい。だが、マイクロ・ソフトには特有の事情がある。無料のソフトが浸透したコンピュータ業界において、マイクロ・ソフトへのライセンス料支払いは、業界のみならず顧客の間に反マイクロ・ソフトの風を吹き起こしかねない。


だから当初は、きわめて低率の実施料を設定し、業界の常識を変える方針をとるであろう。その一例を紹介する。

FATと呼ばれるファイルシステムに関し、マイクロ・ソフトを強力なパテント・ポートフォリオを構築した。デジタル・カメラには不可欠な小型記憶装置である。マイクロ・ソフト社の求める実施料は、一台当たり25セントと極めて低額である。さらに合計の支払いは最大25万ドルに限られる。業界からの反発を最小限に抑えるためであろう。

FATに関しては、収益は限られるであろう。だがマーシャル・フェルプスは有能な男である。将来的にマイクロ・ソフトのライセンス活動が業界に受け入れられたとき、マイクロ・ソフトの求める長期的な知財収益は、巨額なものになるであろう。 

4 まとめ

米国のプロパテント政策が成熟し始めた1990年代、知財戦略は、大きく転換し始めた。その中核となったのは、IBMである。IBMに代表される知財の効果的な活用戦略は、急速に広がり始めた。その一例がマイクロ・ソフトである。


マイクロ・ソフトの知財活動は、当初は目立たないであろう。だが、その動きが浸透したとき、彼らの知財戦略は、徐々に積極的に展開されることになるであろう。
近い将来、マイクロ・ソフトの知財戦略の転換が脚光を浴びるものと予測される。

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ビジネス特許

第1部ビジネス特許とは何か

  1. 歴史は繰り返す-ビジネス方法は特許にすべきか?

  2. ビジネス特許とは何か

  3. ビジネス特許の種類

  第2部 米国ビジネス特許の実態

  1. テクノロジーが世界経済を動かす

  2. 深く静かに潜行していたビジネス特許

  3. ビジネス特許―戦国時代の幕開け

  4. 国際的ビジネス特許侵害が日本企業に襲いかかる

第3部 ビジネス特許で儲けるための戦略 
米国企業の事例研究―ジェイ・ウォーカーとプライス・ライン社

  1. ビジネス方法の開発について

  2. 効果的な特許戦略―パテント・ポートフォリオ戦略について

  3. 特許収入を最大化するためのシナリオについて

  4. 訴訟戦略について

出展:ヘンリー幸田著「今最も熱い知的財産権(仮題)」日刊工業

第1部 ビジネス特許とは何か

1.イントロダクション
歴史は繰り返す-発明論争

a.方法

15世紀のベネチア共和国にまでさかのぼる長い特許の歴史の中で、発明とは何かという論争がしばしば繰り返された。

正規の記録に残る最も古い論争は、18世紀におけるイギリスである。イギリスの専売条例が産業革命のきっかけとなったことは広く知られていることである。この時代、世界の産業の歴史を変えるターニング・ポイントとなった技術革新の一つにジェームス・ワットの発明による蒸気機関がある。

ところが、ワットの発明の実体は、蒸気を用いた機関の燃焼効率を改善するための「方法」であった。現代の実務においては、方法が特許の対象となることに疑問を挟む者はいないであろう。だが、当時のイギリスでは、経済界全体を揺り動かす大論争に発展したのである。

一体何故か。

その頃の特許実務においては、発明とは、販売可能な新製品に限られていた。つまり、衣類、工具、薬品、日用品等、物理的な実体を備え、商店において販売の対象となる商品だけが特許発明の対象と認められていたのである。

ワットの蒸気機関の燃焼効率を改善する方法を用いれば、燃料の消費は遥かに低減することが可能となる。素晴らしい技術である。だが、方法は物理的実体を伴わない。「方法」そのものは、商店での販売に馴染まない。

ワット事件は、国際的な注目を集めた中で、方法も物理的製品と同様、他の審査要件を備えれば、特許の対象となるとの判決を得て解決した。発明家ジェームス・ワットの名声は、全ヨーロッパ中に広がり、この判例は、リーディング・ケースとなって、欧米特許の実務を先導した。

方法特許の活性化が、その後のイギリスの産業革命に展開に大きな影響を与えたことに疑問の余地はあるまい。

b.微生物

ワットの事件から200年を経過した1980年、米国連邦最高裁は、微生物の発明に関し、特許の歴史を書き改める判決を下した。チャクラバーティ事件と呼ばれる特許事件は、黎明期にあったバイオ産業界に衝撃を与えた。

当時の米国特許実務に従えば、生物は特許の対象にならないとの認識が一般的であった。これに対し、最高裁は強い疑問を投げかけた。

特許法には、生物は特許発明の対象とはならないとの規定は見当たらない。米国独立宣言を作成した第3代大統領トーマス・ジェファーソンの草案による米国特許法は、「この太陽の下、人間が創生したいかなる発明も保護する」との精神に支えられた社会制度である。米国の産業は、この積極的な特許強化政策により活性化し、驚異的な発展を成し遂げた。

天然に存在するバクテリアでは効果が不安定であったタンカー事故による原油の処理が、チャクラバーティ博士によって開発された新種のバクテリアによって効率的に処理可能となる。この発明によって、すべての人類が恩恵に浴することが可能となる。

最高裁による判決は次の通りである。特許の対象になるかいなかの基準は、生物であるかいなかではなく、自然物であるか、あるいは人間によって創製されたかいなかによって判断しなければならない。チャクラバーティ博士は、原油を消化するバクテリアの新種を開発した。この種のバクテリアは自然界には存在せず、人間の手によって創製されたものである。従って、特許を拒否する理由は存在しない。

こうしてチャクラバーティ博士による微生物の発明にも特許権が認められた。この事件をきっかけに、遺伝子操作、クローン技術等、バイオの研究における競争が活発になったのは言うまでもない。

c.コンピュータ・プログラム

続く1981年、同じ連邦最高裁は、ディーア事件において、コンピュータ・プログラムをめぐる大論争に結論を下すのである。従前、コンピュータ・プログラムは、数学的計算方式に過ぎないとして、独占権の対象から外されていた。

ディーア事件における発明は、ゴムのキュアリング方法に関する技術である。キュアリングを最も効率的に行う条件を自動的に計算するために開発されたコンピュータ・プログラムを含むゴムの処理方法は、果たして特許発明として独占の対象になるのであろうか。

大論争の果て、最高裁は5対4の僅差であったが、特許を許す判決を下した。論理の展開は次の通りである。

まず、特許法の精神に従えば、数学的計算方式は、発明の内容が抽象的な原理そのものである限り、個人の独占の対象とはなり得ない。しかしながら、発明が全体として、物理的手段と不可分の関係にあるとき、数学的計算方式を含む発明であっても、抽象的概念の域を超えることができる。本件発明は、原理としての数学的計算方式自体に独占権を求めるわけではなく、コンピュータという物理的手段と一体化したゴムの処理方法に独占権を求めるのみである。従って、このゴムの処理方法に特許を与えることは、特許法の精神に反しない。

ディーア事件をきっかけに、長年の論争は一段落し、今、コンピュータ・プログラムは、米国に限らず、ヨーロッパ、アジア諸国を含め、広く特許の対象として国際的に認知されるにいたった。

バイオと、コンピュータ・プログラムが特許の対象になるとの認識は、嵐のように産業界に大きな波紋を投げかけた。それまで、タブーのごとく、閉ざされていた技術分野が、次々に注目を集め始めた。伝統的な特許実務に携わる人達にとっては、これらの動きは、やや非常識に見えたことであろう。

だが、米国特許実務を先導する連邦高裁は指摘する。特許は、産業の発展に貢献することを目的に制定された制度である。このため、産業の発展に貢献するいかなる発明も保護の対象から除外してはならない。発明がそれまでの常識から見て、意外であるとの理由で特許の対象から外すのは危険である。何故なら、発明の本質は、意外性にあるのだから。

d.ビジネス特許

この一連の激しい動きの中で、現代社会が直面した最も衝撃的な新分野が、ビジネス特許である。注目を集めた事件の動きを整理してみよう。

ビジネス特許が現代経済社会において注目を集めたのは、1998年7月、ステート・ストリート事件がきっかけである。「ハブ・アンド・スポーク」と呼ばれる投資管理方法に関する特許の権利者であるシグネチュア社は、この投資管理方法を用いて、投資の急速な大型化を実現した。実施権を求めるステート・ストリート銀行は、シグネチュア社との交渉に行き詰まった結果、特許権無効を主張して自ら確認訴訟を提起した。連邦地裁は、ステート・ストリート銀行の主張を認め、ビジネス方法は、特許権の対象とはなり得ないとして、特許権無効を宣言した。ところが、連邦高裁は、これを破棄、特許権有効の判決を下したのである。

特許を専門とする連邦高裁(CAFC)が、投資管理方法に関するビジネス特許を有効な権利と認めたステート・ストリート事件は、米国に限らず、日本、ヨーロッパの国際経済社会にとって衝撃的な出来事であった。その衝撃は、巨大な波紋となって、経済界を揺り動かし始めた。代表例を挙げてみよう。

1999年10月、アマゾン・ドット・コム社によるネット販売方法に関する特許に関し、ライバル企業であるバーンズ・アンド・ノーブル社を提訴した。この事件は異例のスピードで処理され、何と同年12月1日には、仮処分が下された。バーンズ・アンド・ノーブル社は、アマゾン社特許にかかわるネット販売方法を差し止められたわけである。

ATT社は、電話料金の割り引き方法に関し、エクセル・コミュニケーション社を特許第5,333,184号侵害で提訴した。1996年のことである。連邦地裁は、エクセルの主張を認め、同特許は、発明の対象とならない数学的算定方式を用いたビジネス・メソッドであるとして、権利無効の判決を下した。ところが、1999年10月、連邦高裁(CAFC)は、ATT社特許は、電話料金の割引という具体的、物理的、かつ有用な結果をともなう発明であり、特許の対象になると認定、地裁判決を逆転した。地裁に差し戻されたこの事件は、結局、MCI社が既に公開した「フレンズ・アンド・ファミリー」と呼ばれる方式に基づき公知であると認定され、権利は無効とされた。結論は、特許権は無効と認定されたが、特許発明の対象となることが確認された点で、この事件は、ビジネス特許を支持する重要な判例である。

1999年10月13日、プライス・ライン社は、逆オークションに関するビジネス特許を根拠に、マイクロ・ソフト社およびその子会社エクスペディア社をコネティカット州連邦地方裁判所に提訴した。業界の先端を行く巨大組織であるマイクロ・ソフト社に対し、プライス・ライン社は社員200名、創立2年という幼い企業である。マイクロ・ソフトは、特許戦争に限定せず、株式買取等あらゆる手段を用いて全面的に対抗するであろう。だが、プライス・ラインを率いる会長ジェイ・ウォーカーは、今、ビジネス特許のニュー・リーダーとして名乗りを上げた硬派の経営者である。小粒だがあなどれない。この対決は、ビジネス特許の将来を知る上で注目を集めている。(この事件の詳細に関しては、第3部 4.を参照されたい)

ニュージーランドの女性発明家、ハリングトンは、ネット販売方法特許(第5,895,454号)に関し、ヤフーを提訴した。実は、この事件は、個人発明家の代理人として、特許管理会社SBH社が提訴した点で関心を集めている。つまりSBH社は、無料で事件を請負い、勝訴あるいは和解で収入を得た段階で所定の割合で支払いを受ける。いわゆる成功報酬に基づく契約である。

米国特許の実務では珍しい契約ではないが、ビジネス特許に基づく大型の訴訟としては、初のケースである。SBHが成功を収めた暁には、多数の特許管理会社、あるいは特許弁護士がこのビジネスに参入することになるであろう。

米国を震源地とするこの巨大な波紋は、次第に国際経済社会を飲み込むことになるであろう。特に、ボーダーレスを特徴とするインターネット・ビジネスに関しては、ビジネス特許をめぐる国際的な競争が、急速に過激になることを避けられまい。

方法特許、バイオ、そしてコンピュータ・プログラムの特許性が争われたように、今、ビジネス特許の特許性が激しく争われている。多くの企業家にとって、ビジネス特許は未だ不明な部分が多く、戸惑いを禁じ得まい。

だが、大きな歴史の波は変わるまい。その歴史の流れの中で、方法、バイオ、コンピュータ・プログラムがすでに特許として定着したごとく、ビジネス特許が国際経済社会に定着するのは、時間の問題であるように思われる。

2.ビジネス特許とは何か

a.ビジネス特許の定義

ビジネス特許は、主としてコンピュータを活用してビジネスを行う方法、あるいはその方法を実施するためのシステムを発明の対象として保護する特許である。

分かりやすく言えば、ビジネス特許とは、電子商取引に関する新しい方法、あるいはシステムに関する特許である。

商取引の対象は広く、ネット販売、金融、会計、投資、入札、人材紹介、代理業務、諸サービス業務等、現代社会における経済活動のあらゆる分野が含まれる。事実,ビジネス特許は、発明の内容により、様々に類別される。

ビジネス・メソッド     
ビジネス・モデル       
ビジネス・システム     
ビジネス・プラクティス 
米国においては、ビジネス・メソッドの名称が最も一般的であるが、ここでは、用語を総称としての「ビジネス特許」に統一する。

今注目を集めるビジネス特許は、概ねコンピュータ、特にインターネットの普及に伴い開発された技術にかかわるため、米国実務においては、上記のごとく説明されるのが一般的である。

ところが、ビジネス特許の奥はさらに深く、その起源は、実はコンピュータの出現より遥か以前にさかのぼる。ビジネス特許の本質を理解するために、その背景となる歴史を簡単に振り返ってみよう。

ビジネス特許が米国で最初に注目を集めたのは、1908年、ホテル・セキュリティ事件である。ホテル・セキュリティ社は、レストランにおける経理処理方法に関し、特許を取得した。発明は、レストラン従業員による不正行為を防止するための帳簿管理方法である。具体的には、ウエイターとマネジャーが連続番号を付した二枚つづりの伝票を持つことにより、注文はすべて集中管理可能となる。

激しい論争の末、第二地区連邦高裁は、この経理処理方法に関する特許権は無効であるとの判決を下した。この判例がきっかけとなって、米国実務においては、ビジネス方法は特許の対象とはなり得ないとの判例法上のルールが定着した。

b.ビジネス方法除外の原則

このルールは、「ビジネス方法除外の原則」(Business Method Exception)と呼ばれ、米国特許実務を長年にわたって支配した。

ところが、1998年7月、特許を専門とする特別連邦高裁(CAFC)は、ハブ・アンド・スポークと呼ばれる投資管理方法をめぐるステート・ストリート事件において、ビジネス方法の特許性に関する意外な事実を指摘して、実務家達を驚かせた。ホテル・セキュリティ事件に戻ってみよう。

ホテル・セキュリティ事件において、被告は、ホテル・セキュリティ社の特許は、二つの理由により特許無効であると主張して反撃した。第一に、経理処理方法は、科学技術の範疇に入らず、特許発明の対象とはなり得ない。第二に、この種の経理処理方法は、既に社会において公然知られた会計実務であり、特許の要件である新規性に欠ける。

連邦高裁は、被告の主張を認め、特許無効を宣告した。だが、判決を詳細に分析すると、意外な事実が判明した。判決においては、第一の理由に関し、被告の主張に同意するコメントを残しながら、実際の判決理由は、第二の、公知のみが挙げられていた。つまり、「ビジネス方法は特許の対象とはなり得ない」との理由は、判決の根拠としては、挙げられていなかったのである。

信じられないような事実であるが、実は長い間、ビジネス方法除外の原則の発端とされていたホテル・セキュリティ事件においては、ビジネス方法が特許の対象とはなり得ないとの明確な判決は下していないのである。つまり、判例法としての根拠は、完全に覆されたのである。

c. ビジネス方法の特許要件

ここで、再び、1998年7月のステート・ストリート銀行事件に話を転じなければならない。連邦高裁ニューマン判事は指摘した。

米国判例法を詳細に検討すれば、「ビジネス方法除外の原則」には、明確な判例法上の根拠はない。制定法である連邦特許法第101条には、特許の対象となる発明として、5つの種類が挙げられている。

(1)方法(Process)  
(2)機械(Machine)  
(3)生産品(Manufacture)    
(4)組成物(Composition Matter)     
(5)改良(Improvement)      
これらに相当する発明である限り、特許発明の対象としての適格を有するものと解すべきである。判例法が明確に特許を禁ずる例外は3つに限られる。自然現象、自然法則、そして抽象的概念である。米国特許法の創始者、トーマス・ジェファーソンは、「太陽の下、人間が創作したあらゆる種類の発明は保護に値する」と述べた。司法機関が勝手にその精神を狭く解することは許されない。

特許を受けるためには、特許発明の対象となる資格を有する他に、次の3つの条件を満たさなければならない。

(1)新規性(発明が公に知られていないこと)   
(2)非自明性(発明が公知の技術に基づき自明でないこと)       
(3)適切な開示(発明が十分、かつ適切に記載されていること)   
ビジネス特許は、その発明が方法、システム(機械)、あるいは改良のいづれであるにせよ、電気製品や自動車等、他の種類の発明と区別して審査するのは不当である。ビジネス方法が他の特許要件(新規性、非自明性、開示)を満たしている限りにおいて、特許を拒否する理由は存在しない。

ビジネス特許は、内容がビジネスに関する方法、あるいはシステムであることを理由に拒否される理由はない。ビジネス特許の内容が、自然法則、自然現象、あるいは抽象的概念に過ぎない場合は、それらの理由によって拒絶されるべきである。

こうして、「ビジネス方法除外の原則」は、あっけなく崩壊した。従って、ビジネス方法に関する発明であっても、他の発明と同様の条件で審査を受け、他の要件を満たす限りにおいて、特許の対象となることが確認された。

3.ビジネス特許の種類

a.内容に基づく種類

コンピュータを活用するビジネス特許は、新しい産業である。そこでは常に規制にとらわれない新たな種類が続々と生み出されている。このため、すべてのビジネス特許を正確に分類することは不可能に近い作業である。ここでは、現時点での代表的、かつ経済的影響度の高いビジネス特許の特徴を整理しておこう。

i.ネット販売

販売業者は、インターネット上のホームページに商品を紹介し、顧客は、希望の商品を指定し、インターネットを介して、業者に発注する。受注を受けた業者は、顧客に対し、受注を確認して取引を完了する。商品は、サプライヤーから直接顧客に送達される。中間マージンを省略できるため、通常の市場価格より、遥かに低価で商品を提供することが可能となる。 

よく知られたところでは、アマゾン・ドット・コム社が取得したネット販売方式に関する特許第5,960,411号がある。インターネット上の商品リストから注文品を仮想の買い物籠(ショッピング・カート)に詰めた顧客が、最後に必要なデータ(名前、住所、クレジット・カード番号等)を業者に送信して発注する。クレジット・カード番号は、初回に登録すれば、次回からは登録番号を記載するだけで済み、一回の送信(ワン・クリック方式)で取引を完了することができる。しかも、クレジット・カードに関する交信は、暗号化されて送信されるため、途中で番号盗難の危険を回避することも可能である。

アマゾン社は、1999年10月、最大の競業企業であるバーンズ・アンド・ノーブル社に対し、特許侵害訴訟を提起した。ワシントン州連邦地裁は、アマゾン社の主張を基本的に認め、クリスマス商戦を直前に控えた同年12月1日、バーンズ社に対し、仮処分を命ずる決定をくだした。

アマゾン社は本訴においても勝訴が予想される。本訴における勝訴が確定した時点で、さらに多数の競業企業に対し、法的措置をとるものと予測される。

この他、ネット販売でよく知られたところでは、Buy.comがある。商品の範囲の広さで他を圧倒する。

ii.バーチャル・モール方式

複数の販売業者が合体し、仮想のモールを構成する。顧客は、一つのモールにアクセスすれば、そのモール内で簡単に多数の販売業者のホームページにアクセスすることが可能となる。モール所有者は、モール全体を宣伝し、各販売業者は、モールの所有者に対し、モールの権利金および使用料を支払うのが普通である。使用料は、定価あるいは売上のパーセンテージに応じて、支払うことになる。販売業者としては、モールに参加することにより、単独でホームページを開く場合と比較して顧客からのアクセス回数は遥かに多くなる。

典型的なバーチャル・モールの特許としては、ウェグナー・インターネット・プロジェクツ社による第5,737,533号が知られている。

iii.オークション方式

販売業者が商品をホームページに紹介し、一定期間内に最高価格を申し入れた顧客との間に取引が成立する。企業対個人間に限らず、個人同士の間でも、この方式は驚異的な成長を見せている。

最も知られたところでは、E-Bay社によるオークションは、商品の種類の豊富な点で圧倒的である。

この他、オンセール社による方式は、個人間の売買を業者のホームページを介してオークションの形態で行い、業者は仲介手数料を徴収する。(米国特許第5,835,896号:巻末資料9参照)

iv.逆オークション方式

プライス・ライン社が開発した方式。顧客が価格を指定して、販売業者からの申し入れを待って取引を行う方式。通常の商品以外にも、飛行機切符、ホテル予約等、あらゆる業務に応用可能である。逆オークションの普及により、これまで埋もれていた取引が可能となった点で、経済の活性化に貢献しているものと思われる。特に、飛行機切符の値段を顧客が指定し、航空会社が応札する方式は、画期的であり、スタート当初より爆発的な人気を呼んだ。最初の90日間で、1000万ドルを超える売上を達成したと報告されている。

プライス・ライン社の特許活動は活発を極め、現時点で逆オークション方式に関し、3件の特許(米国特許第5,794,207号、第5,797,127号、第5,897,620号)を取得した他、17件の出願が継続中である。これらの中でも、第5,794,207号(特許は、基本特許であり、プライス・ライン社の保有するパテント・ポートフォリオの中核と見られる。

なお、プライス・ライン社は、1999年10月マイクロ・ソフト社によるホテル予約サービスを特許侵害として、マイクロ・ソフトおよびその子会社であるエクスペディア社を提訴した。この訴訟の結果次第では、プライス・ライン社は、さらに多数の競業企業に対し、ライセンス料の要求、拒否する企業に対しては、提訴の手続きを進めるものと予測される。

v.投資システム

シグネチュア社が保有する特許第5,193,056号。自転車の車軸(ハブ)に相当するパートナーとしての大型投資機関を中心に、複数の投資基金(ミューチュアル・ファンド)がスポークのように広がる組織をコンピュータにより管理する方式。各ファンドに所属する個人投資家達は、コンピュータを介して、日々の投資状況に関する情報をリアルタイムで正確に把握することが可能となる。

投資家達は、自己の投資状況を時々刻々知り、最適のファンドを選択することが可能となり、さらに税金対策においても投資の管理が容易となる。このため、シグネチュア方式は、急速に米国投資機関の間に普及し、1990年代後半における米国株式の高騰を支える要素となった。最近の日本の株式における米国資金の流入に関しても、シグネチュア方式は無縁ではない。

ステート・ストリート銀行との訴訟におけるシグネチュア社の勝訴判決は、ビジネス特許に関するターニング・ポイントとして歴史に刻み込まれることであろう。(State Street Bank & Trust v Signature Finacial Group, Inc., 47USPQ2d. 1596)

vi.電子マネー

商取引にかかわる決済をすべてコンピュータで処理することができれば、現金、クレジット・カードの類はすべて不要となる。コンピュータは、超薄型CPUを搭載した小型キーボード、あるいは非接触型カードのような形式をとることにより、常に携帯することも可能となる。ビジネス・メソッドが急速に高度化する時代の流れを見るとき、財布に代えて、電子マネーまたは電子パースが普及する日は遠くないものと思われる。

代表例としては、シティ・バンクの所有する特許第5,455,407号を挙げることができる。

vi.注文生産方式

コンピュータの購買者は、その能力と使用目的によって、PCについて様々な仕様を好む場合が少なくない。デル・コンピュータ社は、この事実に注目した。デル社は、インターネットを介して、顧客の好む仕様を受け付け、72時間以内にカスタム・メードのコンピュータを出荷する。この注文生産方式は、コンピュータに通じた若者の間で人気を集めた。

デル社は、この方式を、"Build-to-order business model"と名づけて特許第5,894,571号(巻末資料13参照)、第5,991,543号、第5,995,757号を取得した。さらに出願を重ね、限在では、総計42件の特許および出願を保有する。

なお、デル社は、これらの特許を活用することにより、IBM社との間で1999年3月、クロス・ライセンスを含む160億ドルという巨額のOEM契約を締結することに成功した。

viii.デリヴァティヴ(金融派生商品)

コロンビア大学が開発したデリヴァティヴに関する価格と利息等に関する計算手法を基礎とするビジネス特許である。モンテカルロ手法で積分を評価する上で乱数に代え、ランダム性のない数列を活用することにより、正確な計算を可能とした点で評価される。(第5,940,810号)

b.取引主体に基づく種類

コンピュータを用いたビジネス方法は、取引の主体に応じて、次の3つの種類に分けられる。

i. "b to b" (business to business)

ビジネスを営む企業間の取引である。企業が求める製品、部品、資本、雇用、そしてサービスを企業間において、取引の対象とするビジネス方法、ないしシステムである。この形態は、一般消費者とは直接の関係はないが、取引規模が大きいため、経済的スケールにおいて、他の種類を遥かに凌駕する。

"b to b"ビジネス・メソッドは、企業間の金融取引、部品調達、投資行為等に関し、積極的に活用され始めた。例えば、GE社の照明事業部の調達部門は、インターネットを活用することにより、サプライヤーに見積もり書類を出すまでの期間を7日から2時間に短縮することにより、調達部門の人件費を30%、材料費も20%削減できたという。

シスコ・システム社は、トヨタ自動車のジャスト・イン・タイム方式を情報テクノロジーで拡張し、製品を外部の向上に委託生産し、自社のブランドで販売する。顧客情報は毎日更新されており、セールスマンの効率や決定権を拡張して業績を急速に伸ばした。シスコ社の株式の成長率は、過去10年間で約1000倍と、米国企業中最大である。

ii. "b to c" (business to consumer)

企業と一般顧客との間の取引である。通常のネット販売、投資、オークション等がこの態様に該当する。取引の回数から見れば、最大の利用頻度になるであろう。従って、この種のビジネス特許の社会的な影響度は、計り知れない。

アメリカン航空は予約状況の悪い路線をインターネットで週末特別割引便として売り出し、数千万ドルにおよぶ売上増を達成した。

ウエルス・ファーゴ銀行は、インターネット・バンキングを導入することにより、一回当たりの取引コストを窓口での1ドルから、百分の一の1セントに引き下げることに成功した。

  自動車小売業のオートバイトル社は、インターネットを活用することにより、車1台当たりの販売経費を、1,000ドルから200ドルに引き下げた。

iii. "c to c" (consumer to consumer) 

一般顧客同士の間における取引である。つまり、商品の売買、交換、サービス、紹介等、個人的なニーズに従って、新種のビジネスが続々生まれることになるであろう。

米国では、既にイーベイ社が個人間の取引をオークション形式で拡張し、急激な勢いで成長を見せている。

第2部 米国ビジネス方法特許の実態

1.テクノロジーが世界経済を動かす

新しい技術が経済社会に変革をもたらしたことは、世界史の中では珍しいことではない。

産業革命を迎えた18世紀の英国は、グーテンベルクによる印刷機の発明によって、社会生活が一転した。聖書の大量印刷に始まる文書の普及は、文学から政治経済にいたるまで、市民の生活様式に変革をもたらした。

19世紀後半の米国は、トーマス・エジソンの出現によって、電球、蓄音機、電話、電報を中心とする企業活動が急速に発展し、短期の間に生活様式は、劇的な転換を遂げた。

20世紀の前半は、ヘンリー・フォードによる大衆自動車、ライト兄弟による飛行機の出現が市民の行動範囲と流通に大変革をもたらした。

20世紀の後半は、半導体の出現による電子機器、特にコンピュータの小型高性能化で、生産、通信、そして文化を根底から揺り動かした。

2000年を迎えた今、インターネットの急激な普及が、政治、経済、文化のあらゆる側面を揺り動かし始めた時代として歴史に刻み込まれることであろう。

この大きな変革の時代にあって、ビジネス特許は、経済活動の将来を支配する要因になるものと思われる。この時代の特徴は、インターネットを中核とする新たなビジネスが国境を超え、相互の取引を可能にした点にあるように思われる。

インターネットをきっかけとするボーダーレス経済は、既存の政治・法律の枠を飛び越えて機能する。つまり、インターネットを活用するビジネス特許が動かす国際社会は、経済が政治と司法をリードする構造を取るものと予測される。20世紀末の米国では、既にこの兆候が明らかに伺えるのである。

2.深く静かに潜行したビジネス特許 

ビジネス特許の起源は、いささか古く、1908年にさかのぼる。ホテル・セキュリティ事件における帳簿管理方法が最初に注目を集めたビジネス特許である。(詳細に関しては、第1部 2.参照)

この事件においては、ビジネス特許が特許発明の対象になり得るかいなかが争われた。ところが実際に下された判決においては、このビジネス特許は、類似の会計処理方法が既に公知であったことから、新規性がないとの理由で権利の無効が宣言された。ビジネス特許自体が特許発明の対象になり得るかいなかの論点は、判決理由では触れられていない。

しかしながら不思議なことに、以降の判例においては、ホテル・セキュリティ事件に習って、ビジネス特許は特許発明の対象とはならないとの判例が続き、いつの間にか、「ビジネス方法除外の原則」( Business Method Exception )なる法理論が定着していたのである。この法理論の源を辿れば、ホテル・セキュリティ事件における判決に行き当たる。だが、ビジネス方法除外の原則を支持する根拠は、その判決理由には見当たらない。

根拠なき法理論は、一人歩きし、学説・判例は、「ビジネス方法除外の原則」に従って、実務をリードした。この実務は、1908年にいたるまで疑問を提起されることもなく継続し、定着した。

ところが、1980年、チャクラバーティ事件におけるバイオ(微生物)、そして1981年、ディーア事件におけるコンピュータ・ソフトが続けて連邦最高裁によって、特許発明の対象となることが認められたのを期に、静かな転機が訪れる。

米国の持つ自由な発想は、基本的な疑問を提起した。それまで特許を許されなかったバイオとコンピュータ・ソフトが特許の対象になるのなら、新たに特許の対象になる技術が他にあるかもしれない。この時期は、ちょうど、コンピュータが急速に普及した時期に重なる。ソフトが特許の対象になるのなら、ソフトを用いたビジネス方法が特許を許されても不思議ではあるまい。

こうして、ビジネス特許が再び注目を集め始めた。だが、「ビジネス方法除外の原則」の壁は厚い。多くの出願がビジネス方法を理由に拒絶された。それでも、企業によっては、ビジネス方法を無理やりメモリーやプリンタ等のハード部品にからませてビジネス特許を取得する例が徐々に増え始めた。米国特許分類第705類に含まれるビジネス方法に関し、1980年代には、平均50件(年間)のビジネス特許が発行されている。(第1図参照)

図が入ります。

1990年代初頭までには、500件を超えるビジネス特許が発行された。だが、これらの特許は登録されただけで権利行使された事例は皆無であった。90年の歴史に支えられた「ビジネス方法除外の原則」が障害となって、権利者は訴訟の提起をためらった。

このため、ビジネス特許の数は確実に増え続けたが、その存在は、社会の表面に現れることはなく、深く静かに潜行していった。

3.ビジネス特許―戦国時代の幕開け

潜行を続けていたビジネス特許は、1990年代末には、4000件を超えていた。社会の裏に潜んでいたビジネス特許が、突然米国経済界の注目を集めたのは、1998年7月、ステート・ストリート銀行事件においてビジネス特許の有効性を積極的に認めた連邦高裁判決がきっかけである。

この事件がマスコミに大きく取り上げられた直後、ビジネス特許をめぐる大型の紛争が、続々と勃発した。潜行し、溜まり続けたエネルギーが爆発するごとき戦国時代の幕開けである。代表的な事例を紹介しよう。

a.ステート・ストリート銀行事件(ハブ・スポーク投資システム)

1998年7月、米国経済界に大きな衝撃が走った。

特許を専門に扱う米国連邦高等裁判所(CAFC)が、ビジネス方法を対象とする特許権を有効と認定し、侵害企業に差し止めを命じたのである。ステート・ストリート事件と呼ばれる訴訟は、世界の知的財産権実務に新しい風穴を開ける効果をもたらした。

一体何が起きたのだろうか。

特許権者シグネチュア社は、組織的投資機関として知られる企業である。1995年、投資家を募るための効果的方法として、画期的な投資システムを考案した。ハブ・スポーク・システム(中心機関と周辺機関)と呼ばれるこの方式に従えば、中心となる車軸に相当するリーダー組織(ハブ機関)が大型の投資戦略を担当する。この周囲に複数のファンド(スポーク機関)が車軸の周囲に広がるスポークのようにハブ機関を取り囲む。ハブ機関を中心とする投資活動は、時々刻々、コンピュータにより投資の現状を算定評価され、各スポーク機関は、その情報に常時アクセスを許され、所有比率に応じて、個々の投資効果の正確な状況を知ることが可能となる。

秒、分刻みで変動する株式市場への投資において、正確な情報への瞬時のアクセスは、決定的な利点となる。また、税金対策においても、効果を発揮する。このため、シグネチュア社の開発したシステムは、米国投資家の間で人気を呼び、急速に普及した。

ハブ・スポーク・システムは、複数のファンドを取り込むことにより、投資金額の大型化を可能にする。大型化された投資機関は、その潤沢な資金を活用して、株式市場への支配力を高めて行く。このため、ハブ・スポーク・システムは、株式投資の世界において、画期的な方式として評価を高めた。

近年の米国株式市場の異常とも思われる活性化は、このハブ・スポーク・システム、あるいはその変形システムによる貢献を抜きに語ることはできない。日本の株式市場が活性を取り戻した背景にも、ハブ・スポーク・システムによる米国からの資金流入の跡をうかがうことができるのである。

シグネチュア社の開発したハブ・スポーク方式の投資活動は、人気を集めた。中でもステート・ストリート銀行は、大型投資におけるリーダーとして、この方式に強い興味を示した。早速ライセンス交渉が開始されたが、条件面で行き詰まった。

シグネチュア社の立場からは、ハブ・スポーク・システムは、開発に長期にわたる試行錯誤と巨額の資金を費やしたユニークなプログラムである。ライセンス料は、特許の価値に応じた金額を期待するのは当然である。

これに対し、ステート・ストリート銀行は、まったく異なる評価を下した。シグネチュア社は、特許権を取得したが、典型的なビジネス特許であって、当時の判例法に従えば、権利の有効性には何の保証もない。従って、高額のライセンス料を納めても、権利が他社によって無効にされれば無駄である。交渉は決裂した。ライセンスが得られないまま、ステート・ストリート銀行は、リスクを覚悟でハブ・スポーク・システムの投資方式を採用した。

シグネチュア社からの提訴は避けられない。ステート・ストリート銀行は、自ら、特許権無効を主張する確認訴訟を提起した。実務家の多くは、ビジネス特許は、1908年来のホテル・セキュリティ事件の判例に基づくビジネス方法除外の原則に従い、シグネチュア社の特許は無効との判決が下されるものと予測した。

事実、連邦地裁は、「ビジネス方法除外の原則」(Business Method Exception)、そして「数学的算定方式除外の原則」(Algorithm Exception)に基づき、シグネチュア社のビジネス特許は、特許に値しないと断じ、特許権無効の判決を下した。

ところが、連邦高裁による判決は前述のごとく、予想を裏切り、シグネチュア社が完勝した。連邦高裁は、ホテル・セキュリティ事件に言及し、「ビジネス方法除外の原則」を根拠のない妄信的論理として切り捨てた。「数学的算定方式除外の原則」に関しては、重要なのは、発明が数学的算定方式を含むかいなかではなく、発明が産業にとって、有用であり(useful)、具体的であり(concrete)、かつ有形的(tangible)な効果を有するかいなかであると判示した。

その上で、シグネチュア社のビジネス特許は、ハブ・スポーク方式によるデータ処理の結果、投資の結果が常時正確に表示されるビジネス・システムは、有用、具体的、かつ有形的な効果を有すると事実を認定した。この事実認定に基づき、連邦高裁は、ビジネス特許の有効性を認める判決を下した。

シグネチュア社は、今、この特許のライセンス収入を拡大させるプロジェクトを展開中である。大型株式投資が一般化するにつれ、シグネチュア社のハブ・スポーク投資方式に関するビジネス特許の持つ経済的価値は、さらに高騰するものと思われる。

b.アマゾン・ドット・コム事件(ワン・クリック・オーダー)

1999年9月、米国経済界に次の衝撃が走った。急激な成長を続けるインターネットによる商品販売業界の中でも、その先頭を走るアマゾン社が、ネットによる注文方式に関する基本特許を獲得したのである。ネット販売業界にとっては、寝耳に水のできごとであった。

アマゾン社の特許を簡単に説明しよう。

ネット販売においては、商品を注文する側の顧客コンピュータと注文を受けるサーバー・システムが交信する。顧客は、スクリーンに掲示された商品の中から、選択した商品の番号を指定して注文する。複数の商品を注文する場合は、次々に商品を指定することが可能である。商品の指定を終えた顧客は、最後に、顧客の氏名、住所の他、クレジット・カードの番号を記載して注文を完了する。その手順は、ちょうどスーパー・マーケットでショッピング・カートに商品を積み込み、最後にレジで清算する日常の買い物に類似する。従って、この方式は、ショッピング・カート方式と呼ばれる。

この種のネット販売は、アマゾン以前から公知の方式である。だから特許の対象にはなりえない。だが顧客は注文のたびに、自分のデータをコンピュータを介してサーバー・システムに送らなければならない。特に、クレジット・カード番号を開示するには、ある種のためらいがある。インターネットによる情報の送達は、複数のコンピュータを介して行われる。そこには、どんなワナが隠されているか分からない。情報をコード化することにより、秘密を保持する方法も知られている。だが、コード化したとしても、一流のハッカーにかかれば、解読は可能であり、リスクを完全に解消することは期待できない。その上、手続きが複雑化し、一般の顧客にとっては不便きわまりない。

アマゾンは、顧客の立場からこの問題に取り組んだ。アマゾンの特許のポイントは二つある。第一に、初回の注文者のみが氏名、住所、クレジット・カード番号等を登録することによって、特定の識別記号を与えられる。2回目からは、この識別記号を記載するだけで、他の情報は一切不要となる。第二に、注文に際しては、必要な商品を特定するために、マウス・ボタンを1回クリックするだけで他の操作は不要である。

つまり、アマゾン方式によれば、クレジット・カード等個人的情報の漏洩を最小限に抑え、かつ注文に際してのコンピュータの操作は、ボタンを1回押すだけで完了する。従来のネット販売には、少なくとも5回のボタン操作が必要であったことと比べると、操作は単純きわまる。このため、アマゾンの注文方式は、ショッピング・カート方式と対比して、ワン・クリック方式と呼ばれ、あっと言う間に全米中に普及した。

こうして、1999年夏を迎えるころには、クリスマス商戦を控え、多くのネット販売企業が、このワン・クリック・オーダー方式を取り入れ始めた。アマゾン特許が公開された9月は、この動きがピークに達したときと一致する。このため、ネット販売に携わる企業を中心に、米国コンピュータ業界は、あわてふためいた。

アマゾンにとっては、市場を支配するための絶好のチャンスである。早速10月には、手始めに、最大のライバル企業であるバーンズ・ノーブル社(barnsandnoble.com)を被告に特許権侵害訴訟を提起した。

米国経済界が注目する中、この訴訟は、異常なスピードで進展を見せた。何と41日後の12月1日、地裁判事は、アマゾンの申請した仮処分を認める決定を下したのである。仮処分は、本訴における勝訴が明白に予測される場合にのみ発行される緊急処分である。判事は、特許の有効性および権利侵害を全面的に支持し、クリスマス商戦を控えた重要な時期を考慮に入れ、アマゾンの特許権を全面的に指示する決定を下したのである。

仮処分の発行は、本訴における勝訴の可能性が大であることを前提とする。このため、本訴においても、アマゾンが勝訴を得るものと予測される。

そのとき、アマゾンは、類似のネット販売に携わる多数の競業企業に対し、次々に提訴の道をとるものと予測される。インターネットによるアクセスに国境はない。従って、日本企業によるネット販売方式であっても、アマゾンの開発したワン・クリック方式をとるときには、特許権侵害の疑義は免れない。

アマゾンの保有するビジネス特許は、ワン・クリック技術方式を中核に、広大な権利範囲に及ぶ基本特許である。ネット販売に力を注ぎ始めた日本企業にとっては要注意である。ワン・クリック方式を採用するかぎり、アマゾン特許に関するリスク管理は、きわめて重要な課題になるものと思われる。

c.プライス・ライン事件(逆オークション)

商品の売買は、通常、売り手が提示する商品と販売条件に対して、買い手が応じる形で取引が行われる。買い手から商品と価格を指定して、売買を申し込む場合もあるがまれである。

だが、インターネットを活用すれば、買い手主導の取引形態も可能になるのではないか。インターネットがまだ未成熟であった1996年、この点に目をつけた男がいる。名前を、ジェイ・ウォーカー(Jay S. Walker)という。

メール・オーダーを中心に数々のベンチュア・ビジネスを立ち上げた経験を持つジェイ・ウォーカーは、1980年に始まるプロ・パテントの時代の流れに注目した。将来のビジネスはパテントを中心に展開すると判断した上で、ウォーカー・アセット社を設立した。アセット(Asset)とは、知的財産権を意味するネーミングである。

ジェイ・ウォーカーの発明哲学はユニークである。伝統的な発明活動は、自己の技術を極めた延長線上に沿って発明が生み出される。このため、伝統的な発明家は、より高度の技術にこだわるのが普通である。技術的に高度でないものに対して特許を求めるのは、発明の理想に反するように思われる。

彼が発明を生み出すプロセスは逆である。彼は、顧客の立場に立って考える。一体何が欲しいのか。顧客が欲する未知の技術が見えたとき、それが彼の発明の完成である。技術的に高度かいなかは無関係である。

ウォーカーは、インターネットを用いた買い手主導の取引形態に目をつけた。顧客が自ら欲する物やサービスを、顧客の欲する価格で購入できれば、何と素晴らしいことではないか。飛行機切符、劇場のチケット、自動車、ホテル・・・彼は、これを逆オークション(Reverse Auction)と名づけて、ウォーカー・アセット社の名義で特許を出願した。1996年9月4日のことであった。

タイミングも絶好であった。ステート・ストリート銀行事件における劇的な判決直後の1998年8月11日、逆オークションのビジネス方法に関するウォーカーの出願は、特許を許された。ネット販売業界にとっては、衝撃的な出来事であった。

その権利範囲は、逆オークション方式の取引を広く包含する。ここにその権利範囲の構成を概略する。買い手と少なくとも一つの売り手の間の取引を促進するためにコンピュータを使用する方法で、次の事項を包含する。

a.     オファー価格を含む条件月購入オファーをコンピュータに入力する、 
b.     クレジット・カード口座を確認する支払い証明は、条件付購入オファーと関連されており、支払い証明をコンピュータに入力する、 

c.     支払い証明の受け取り後、条件付き購入オファーを複数の売り手に送信する、 
d.     条件付きオファーの回答としての売り手からの受諾をコンピュータに入力する、       
e.     支払い証明を用いて売り手に支払う」     
ウォーカーは、プライス・ライン社を設立し、特許を同社に譲渡した。プライス・ライン社を中心に、逆オークションのビジネスを普及させるねらいである。ウォーカーの着想は見事に当たった。逆オークションのビジネスは、当初から顧客の支持を得て、最初の90日間で何と航空券4万枚を売りまくった。こうして逆オークション手法により、顧客が商品の価格を指定する取引は、急速に米国社会に浸透した。

多数の企業が、このビジネス方法を取り入れた。その代表的な存在がマイクロ・ソフト社である。マイクロ・ソフトは、1999年10月、プライス・ライン社は、逆オークション特許を根拠に、マイクロ・ソフト社と子会社エクスペディア社を特許権侵害で提訴した。

d.コンラッド対トヨタ他事件(遠隔サービス・アクセス・システム)

2000年2月8日、個人発明家アラン・コンラッド氏は、遠隔サービス・アクセス・システムに関する特許権侵害に基づき、日米の主要企業39社を被告にテキサス州連邦地方裁判所に提訴した。トヨタ、GM等の自動車企業の他、電気会社、航空会社、レンタ・カー会社、ヒルトン、マリオットのホテルまで巻き込む大型の特許訴訟である。

これらの中で日本企業は、トヨタ、ホンダ、ニッサン、マツダ、NEC、および東芝の6社である。

この件に関連し、コンラッドは、第5,544,320号、第5,696,901号、そして第5,974,444号の3件の特許を保有する。この特許に関しては、米国政府が既にライセンスを取得しており、その条件として、他の第三者が希望した場合は、適正な料率でライセンスを発行することが定められている。このため、被告企業としては、少なくとも差止めの危険は回避されていることになる。

個人発明家が39に及ぶ異業種大企業を相手に提訴するのは異例である。この種の訴訟は、実質審理が始まる前の初期の段階での対応によって、結果が大きく異なる。コンラッド氏は、一部の被告に対し、有利な条件での早期の和解案を提示するものと予測される。和解する企業が出たとき、その和解金は、次の段階での軍資金となって残る企業を圧迫する。従って、初期のケース・マネジメントがコンラッド訴訟の結果を左右するものと予測される。

個人発明家、あるいは小企業が多数の企業を被告に提訴するのは、1980年代に活躍した特許管理会社リファック社、そして1990年代現代のエジソンと呼ばれた故ジェローム・レメルソン氏以来のことで、その成り行きが注目される。

e.その他

オンラインによる広告の最大手、ダブル・クリック社は、マーケットサーチの専業企業L90社を広告サービス方法に関するビジネス特許権侵害で提訴した。この事件において勝訴を得れば、他のライバル企業にも攻撃を開始するものと予測される。

事務処理機器の大手、ピットニィ・ボーズ社は、郵便切手自動処理方法に関するビジネス特許侵害でE-スタンプ社を提訴した。

従来、特許訴訟とは無縁であったマリンバ社は、コード化されたソフトウェアのオンライン上のアップデート方法に関するビジネス特許の侵害で、ライバル企業であるノヴァダイン社を提訴した。

NES社は、ソフトウェア・パッケージに関するビジネス特許に関する侵害で、オークションの最大手イーベイ社を提訴した。

注文生産方式に関し、42件の特許および特許出願を保有するデル・コンピュータ社は、ライバルであるコンパック社の業務を慎重に監視中である。権利侵害が確認され次第、提訴の準備は完了している様子である。

その他、多数の企業が、ビジネス特許を根拠に攻撃の準備に力を入れ始めた。ビジネス特許戦国時代は、これから本格的に始まるところである。

4.国際的ビジネス特許侵害が日本企業に襲いかかる

1999年4月現在の統計に従えば、米国におけるビジネス方法特許の総計は、4037件を数える。これに対し、日本におけるビジネス方法特許の総計は、307件に過ぎない。

1998年までは、特許出願の数は増えたが、実際に権利行使する企業は現れず、不気味な沈黙が続いていた。その主たる理由は、ビジネス特許の有効性に関する基本的な疑問が解消されていなかったためと思われる。特に障害となっていたのは、1908年のホテル・セキュリティ事件をきっかけとするビジネス方法除外の原則である。

ところが、1998年7月、ステート・ストリート銀行事件において、CAFCは、この認定を誤認と断じ、ビジネス方法であっても、産業の発展に貢献し、他の特許要件を満たす限りにおいて、特許発明の対象となり得るとの判断を下した。CAFCによる判決は、ビジネス方法を実施する業界に衝撃を与えた。

次いで、1999年12月、ワシントン州連邦地裁は、アマゾン・コム社による特許権侵害に関する仮処分の申請を認め、競業企業であるバーンズ・ノーブル・コム社による侵害行為の差し止めを認めた。アマゾン・コム社による特許は、ネット販売に関する基本的な操作(ワン・クリック・オーダー)を開示しており、ネット販売にかかわる業界に再び衝撃を与えた。

これらの動きがきっかけとなって、ビジネス特許に関する活動は、今後、極めて活発になるものと予測される。現に、プライスライン・コム社が逆オークションに関する特許権に基づき、マイクロ・ソフト社を提訴、ニュージーランドの女性発明家が、ヤフー社をネット販売特許権に基づき提訴する等、インターネットをめぐる米国業界は、特許戦争を迎えた。逆に見れば、現段階では特許戦争は米国企業間に限られる。

だが、インターネットには国境がなく、ボーダーレスが特徴である。このため、米国における局地戦争は、近い将来、日本、ヨーロッパを始めとする他の先進諸国家を巻き込む世界戦争に発展する可能性を秘めている。

世界戦争は、次のようなシナリオで勃発するものと予測される。

従来、特許権は、EC特許を除き、属地主義の原則に基づき、各国独自の実務に従うのが通例である。ところが、インターネットには国境がないため、新たな問題を提起する。

米国のビジネス特許に関する侵害の認定に際しては、米国内にサーバー、およびサイトがあり、米国内でアクセス可能な場合、侵害要件を満たすことは明白である。

疑問となるのは、外国(例えば日本)におけるサーバーに対する、米国内でのアクセスに関し、米国特許権の侵害要件が満たされるかいなかである。満たされていると認定される場合、日本の業者であっても、米国ビジネス特許に基づき米国で提訴される事態が発生する。

筆者の調査によれば、現時点において、上記の疑問に明瞭に回答する判例は存在しない。米国を含めて、各国の特許制度は、この新しい問題に対処する機構を備えていないのが現状である。

  一方、米国内における州間の管轄をめぐる争いを見る限りにおいて、上記国際間の侵害認定に類似する状況が複数の判例において明らかにされている。これらは、特許権侵害ではなく、商標権、および著作権をめぐる争いに関する事件であるが、特許侵害における判断にも援用されるものと思われる。

侵害判断におけるポイントをまとめると、次の通りである。ユーザがインターネット・サイトへのアクセスを有し、同サイトを介して、サーバーと直接取引を行う場合(interactive)には侵害が成立する。これに対し、ユーザーは、インターネット・サイトからは情報を得るだけであって、直接の取引は、他の媒体(電話、FAX、手紙等)による場合(passive)には、侵害は成立しない。

つまりユーザーが業者と直接コンピュータにより取引を行うように設定されたプログラムに関しては、サーバーが外国であっても、米国内でのアクセスが可能であり、直接取引きが可能な場合は、侵害が成立することになる。例えば、amazon.comおよびpriceline.com方式のごときビジネス方式を外国で実施した場合、米国ビジネス特許を侵害し、米国内で提訴される可能性が高いものと予測される。

日本企業によるビジネス方法の実施を具体的に考えてみよう。

サーバーが日本にあっても、米国内でアクセスが可能な状況では、上記のごとくサイトの内容によって判定されるものと予測される。つまりサイトが米国内のユーザーを対象とする場合においては、前記のごとく、サイトの内容が、"interactive"あるいは"passive"であるかによって侵害は判定されるものと予測される。

サイトの内容が米国内でのアクセスを意図しない場合(例えば、日本語のみのサイト)は、侵害の成立は否定される可能性が高いものと予測される。ただし、仮に日本語のサイトであっても、米国からの現実の取引が多数に増えた場合は、侵害が成立する可能性が高くなるものと思われる。判断基準は、米国内のユーザーによるアクセスを期待する意図の有無と現実の使用実績のバランスによるものと予測される。

インターネット・ビジネスに関する主要な特許を保有する米国企業(例えば、アマゾン・ドット・コム、プライス・ライン・ドット・コム、イーベイ・ドット・コム)は、現時点では、米国内の競業企業への対処で追われている。だが、これらの訴訟が一段落したとき、当然ながら、ビジネス特許戦争は、さらに拡大するであろう。そこでは、国際的対立が避けられないものと思われる。

特に日本は、遅れ馳せながら、電子商取引を急速に拡大する方向に向かい始めた。日本企業によるインターネット事業が国際的に拡大すれば、次の標的として狙われるのは確実である。

現に、多くの米国企業が、ビジネス特許の出願を国際的に強化し、米国に限らず、日本を初めとするアジア諸国、そしてヨーロッパ諸国に積極的に拡大する方針を取り始めた。

これに対抗して日本企業もビジネス特許の取得に熱を入れ始めた。だが、米国企業は、既に、1980年代初頭からビジネス特許の取得を始め、1990年代末には、4000件を超えるビジネス特許が蓄積されている。日米間の歴史的蓄積の差は大きい。ずばり、日本は10年遅れた。

しかしながら、ビジネス特許をめぐる具体的紛争が始まったのは、1998年と日が浅い。従って、先行しているとは言え、米国企業にとっても、しばらくは試行錯誤の時代が2000年代初頭までは続くであろう。

日本企業としては、この間に全力を尽くして、国際的競業に耐えられるビジネス特許の知識、能力、そして体制を整えるべきであろう。

第3部  ビジネス特許で儲けるための戦略
国企業の事例研究―ジェイ・ウォーカーとプライス・ライン社

1.ビジネス方法の開発について

a.ジェイ・ウォカーとプライス・ライン社

従来特許の世界と無縁であったニュー・プレイヤー達の参入は、特許の世界に「ビジネス特許」という新しい風を巻き起こした。その中にあって、台風の眼とも呼ぶべき存在は、ジェイ・ウォーカー(Jay S. Walker)率いるプライス・ライン社である。

1998年8月11日、買い手主導型の逆オークションに関するビジネス方法の特許(第5,794,207号)を取得したウォーカー・アセット社は、一躍マスコミの注目を集めた。その後、同特許は、ジェイ・ウォーカーが設立した新会社プライス・ライン社に譲渡される。

プライス・ライン社による逆オークション方式ビジネスは、航空機切符の購入、およびホテル予約等のビジネスを中心に急成長を遂げた。特に、航空券の販売は驚異的で、1999年の売上は何と、80万枚に達した。

巻末資料xをご覧いただきたい。プライス・ライン社のホームページである。ここに示されるとおり、同社のビジネスは、過去1年の間に、航空券の売買、ホテル予約の他、自動車、不動産ローン、スーパーマーケットでの買い物と拡大した。さらに、2000年からは、ガソリンに関しても、全米の主たるガス・ステーションと提携し、市価より約20%安い価格での購入を可能にする。ガソリン価格高騰の中、プライス・ライン社の企画は、注目を集めるものと思われる。

スーパー・マーケットやガソリンへの進出が軌道に乗ったとき、逆オークションは、一般市民の間に広く深く入り込むことになる。そのとき、逆オークションは、我々の日常生活のパターンに大きな変化を招くことになるものと予測される。

さらに注目すべきは、特許の活用法に関するジェイ・ウォーカーのユニークな発想である。ビジネス特許に取り組む日本企業にとっては、最も示唆に溢れた研究対象になるものと思われる。

ジェイ・ウォーカーは、コーネル大学経営学部出身の43才、フォーブス誌の取材によれば、彼の資産は90億ドル(約1兆円)。

彼の生い立ちの跡を辿ってみよう。ウォーカーは、ニューヨークで不動産業者として成功を収めた父親と6才の時、ナチスから逃れてきた母親の間に生まれたユダヤ系米国人である。彼が18才の時にこの世を去った母親は、勝負の才覚に優れ、ブリッジのチャンピオンであった。

母親からこの才覚を受け継いだウォーカーは、幼少の時からゲームに親しみ、米国で人気のモノポリー(事業競争に関するゲーム)でチャンピオンになり、ゲーム必勝法の本まで出版した。9才の時には、新聞を発行し、10才では、ヨーロッパを一人旅、13才では、サマー・キャンプに大量のキャンディーを持ちこみ、売店より安い価格で子供達の売りまくり、小遣いを稼いだと言われる。

特にモノポリー・ゲームに熱中した経験は、彼のビジネス感覚を養う上で多大な影響を与えたものと思われる。

大学を卒業した後、彼は、メール・オーダーの企業を立ち上げるビジネスに没頭した。ここでビジネスの基本的な仕組みを体験し、資金をプールし、次の企画を練り始めた1991年、彼の頭に、まったく新しい可能性が閃いた。ビジネス特許である。

きっかけは、国際的銀行業務における送金システムである。1000億ドル(約11兆円)単位の資金が海外口座にコンピュータ送金されるシステムは、公開鍵と呼ばれる暗号施錠・解読に関するソフト・ウェアによって安全が保たれる。このソフトが特許によって保護されている事実を知ったとき、ウォーカーの頭に将来のビジネス構想が広がった。

メール・オーダー・ビジネスに特許を活用できないだろうか。

1995年、ウォーカーは、暗号技術の専門家ブルース・シュネイヤー、インターネットの専門家スコット・ケースおよびジェームス・ジョラッシュと組んで、ウォーカー・アセット社を設立する。特許開発会社である。

彼は、ここで発明に関し、二つの基本的な方法論を取り入れる。ウォーカー・アセット社は、この二つの方法論によるアプローチを身につけることにより、わずか4年の間に、ビジネス特許のリーダーに成長した。ビジネス特許の開発を目指す日本企業にとって、最も参考になる実例である。節を改めて説明しよう。

b.エジソン方式のブレーン・ストーミング

第一に、トーマス・エジソン方式による発明活動である。エジソンは、1093件にのぼる特許取得で知られる史上最高の発明家である。特に電球、電話、蓄音機、映写機の発明は、その後の世界の生活様式を改変させたスケールの大きな発明であり、19世紀最大の英雄として名声を残した。だが、ウォーカーの眼から見たエジソンの魅力は少々異なる。

彼は、エジソンが新しい技術に取り組むシステムに注目した。エジソン以前の発明家達は、個人的な作業によって発明に取り組んでいた。発明とは、孤独な作業であった。これに対し、エジソンは、数人の助手とのブレーン・ストーミングによって新しい技術次々に開発した。つまり、エジソンは、チーム・ワークにおける優れたリーダーであった。エジソンは、ニュージャージー州メンローパーク市に発明研究所を設立し、そこで助手達とともに研究に没頭した。

エジソンの研究方法は独特である。彼は、複数のプロジェクトを同時に進行させる。各プロジェクトは少人数のエンジニアで構成される。エジソンは、毎日、各プロジェクトの作業に参加する。そこでは、激しいブレーン・ストーミングが繰り返される。エジソンは、助手達の輪の中に入って、プロジェクトをリードする。討論が行き詰まったとき、エジソンは次のプロジェクトに顔を出す。複数のプロジェクトにかかわることによって、彼は集中力を維持し、さらにプロジェクト間の競争による相乗効果を活用した。

エジソンによるブレーン・ストーミングの訓練を受けた助手の中から、数々の画期的な技術者が育ってゆく。その一人が後にフォード自動車を設立したヘンリー・フォードである。自動車のタイアで名を挙げたファイアストーンもエジソンの弟子である。

日本企業も無縁ではない。新渡戸稲造による「武士道」に興味を抱いたエジソンは、日本人とも積極的に交流する。野口英夫、高峰譲吉、渋沢栄一・・・

そんな中に、エジソンを慕って渡米、ブレーン・ストミングの訓練を受けた日本の若いエンジニアが二人いた。1887年1月、ニューヨーク州はスキネクテディ市にあるエジソン・マシン・ワークス社に参加した岩垂邦彦は、エジソンとの緊密な交流を経て、1985年帰国、ウェスタン・エレクトリック社の出資を得て、電話機器を中心とする会社を設立した。岩垂の創設した企業は、見事に発展し現在の日本電気にいたる。もう一人、藤岡市助は、エジソンの下で電球の製造に従事した。1886年帰国後、竹のフィラメントを用いた電球の製造販売会社を設立した。これが現在の東芝の発足である。

日本の電気・電子産業を代表する企業2社が、実はトーマス・エジソンの流れをくむという歴史上の事実は、意外に知られていない。

ジェイ・ウォーカーの話に戻ろう。

発明開発会社としてのウォーカー・アセット社の社員は、25名、その半数は、ウォーカーを含め、ビジネス特許の開発に携わる発明家、残りは特許を専門とする弁護士である。つまり、企業そのものが、開発研究部と特許法律事務所が合体した組織である。

ウォーカー・アセット社では、プロジェクトごとに、遠慮のないブレーン・ストーミングが開かれる。ジェイ・ウォーカーは、それらのプロジェクトのすべてに参加する。そこでは、専門の枠を飛び越えて、遠慮のない討論が繰り広げられる。そこから、まったく新たなアイデアが次々に生まれてくる。週2件のペースで特許が出願される。現在までに取得したビジネス特許の数は、36件(具体的内容に関しては、資料a参照)、さらに250件を超える出願が蓄積されている。

ビジネス特許に限ってみれば、この数字は、超大型企業であるIBM、マイクロ・ソフト、シティバンクに匹敵する実績である。社員わずか25名の企業としては、異常な効率である。

その秘密の一つについて、ウォーカーは語る。最大のポイントは人の選択である。ユニークなクリエイティビティに優れた明るい(Positive)人物、理論に偏らず、実験を厭わない資質を見極めなければならない。教育レベルから見れば、理論にとらわれがちな博士号取得者ではなく、バランスのとれた修士号どまりが好ましい。だが誤解していただきたくない。修士号にこだわるのではなく、人物の能力、資質が判断の最重要基準である。

c.客のニーズに合わせた発明開発

第二に、顧客最優先の発明開発である。

伝統的な発明家達は、共通の常識を持つように思われる。「発明とは、技術の進歩を極めた頂点に咲く花である」

だから、発明家達は、自己の技術の進歩を最優先する。技術が進歩しない限り、発明は存在しない。進歩のない技術に特許は許されるべきではない。

ウォーカーはこの常識を信じない。彼は、真の発明とは、顧客が求める技術を提供することにあると説く。つまり彼の信ずる発明の本質は、その有用性にあるとみる。彼の発明へのアプローチは、マーケット・ニーズを正確に見極めるところから出発する。客は何を求めているのか。この答えが見つかったときが発明のチャンスである。逆に、いかに科学的に進歩した技術であっても、客のニーズに合わない発明は価値がない。

事実、彼の代表的な発明である逆オークション方式は、客のニーズを徹底的に分析するところから始まった。例えば、航空券の購買は、航空会社または代理店が設定した価格その他の条件を前提に成立する。顧客としては、航空会社が一方的に指定した条件を受けるかいなか、選択の余地は限られる。だが、顧客が希望条件を指定し、複数の航空会社が逆に入札する方式をとれば、選択の余地は無限に広がる。顧客としては希望の条件が適い、航空会社としては、空席を回避することが可能となる。

逆オークション方式は、爆発的な人気を集め、特許を買い取ったプライス・ライン社は、1999年には80万枚の航空券を販売したという。さらに、ホテル予約、レンタ・カー、新車販売、住宅購入資金借り入れ・・・逆オークション方式による取引は次々に窓口を広げている。

発明会社ウォーカー・デジタル社は、今、顧客のニーズの発掘に懸命である。彼らの発明活動の半分は、顧客のニーズを掘り出すところにある。ニーズに答えるところに優れた発明がある。科学的な進歩性にこだわるのは発明家の自己満足に過ぎない。重要なのは、顧客にとっての有用性ではないか。顧客が本当に欲する物、そしてサービスを提供するのが発明家の仕事である。

現在ウォーカー・アセット社が力を注ぐ、新たなターゲットの例を挙げれば、スーパーマーケットにおける逆オークションである。食品等の日用品の購入に関しても、顧客、販売店にとって無駄は多い。逆オークションによって価格を事前に設定し、品物を取りに行く形態の取引が近々実現するものと予測される。単価は安いが、市場規模は限りなく大きい。前述のごとく、2000年からは、さらにガソリンの販売も同じ手法で全米展開する。

ここで逆オークションの顧客を拡大すれば、航空券、ホテル予約等の他のサービスについて、プライス・ラインのビジネスの裾野が広がる。

そのとき、我々の生活様式は、さらに大きな変革を遂げることであろう。

2.効果的な特許作戦―パテント・ポートフォリオ戦略について

ウォーカー・アセット社の取得した特許を分析すると気のつくことがある。パテント・ポートフォリオ戦略である。

パテント・ポートフォリオ戦略とは、同一分野の発明に関し、複数の特許を意識的に取得することにより、特許権を強化し、競争能力を高める戦略を指す。優れた発明であっても、1件だけの特許では、その特許が無効になれば価値は無になる。このため単独の特許権は、他社の攻撃を招き易い。ライセンス交渉においても、他社は条件の切下げを試みるのが常である。

パテント・ポートフォリオ戦略に従えば、重要技術に焦点を絞り、網の目のごとく複数の特許を取得する。例えば、プライス・ライン社の逆オークション方式に関し、親会社に相当するウォーカー・アセット社は、特許第5,794,207号を中核に、第5,797,127号、第5,862,223号、さらにプライス・ライン名義で第5,897,620号と、少なくとも4件の特許を保有する。さらに12件の出願が審査中である。

逆オークションの中心となる第5,784,207号特許は優れた発明である。市場価値は極めて高い。だが、詳細に検討すれば、逆オークションに類似のビジネスには、公知の資料(例えば、コンピュータに代えてファックスを用いた逆オークション方式)がないわけではない。従って、米国特許商標庁による再審査、あるいは連邦地方裁判所による権利無効の主張で争う可能性がないわけではない。もし、この特許1件だけならば、権利無効で争う企業が現れても不思議ではない。

ところが、前記のとおり、ウォーカー・アセット社とプライス・ライン社は、既に4件の特許を取得し、さらに12件の出願が審査中である。合計16件におよぶパテント・ポートフォリオは強力である。これに立ち向かうのは、あまりにリスクが大きい。このため、逆オークションに興味を持つ企業はすべて、プライス・ライン社からライセンスを得なければならないことになる。

逆オークションに関心を示す企業の数は多い。事実、プライス・ライン社は、現在多数の企業とライセンス交渉中であり、巨額の特許収入を得るのは確実と見られる。たった一社、プライス・ライン社の強力なパテント・ポートフォリオを無視して、ライセンスなしで逆オークションに参入した企業がある。ビル・ゲイツ率いるマイクロ・ソフト社である。その詳細については後述する。

パテント・ポートフォリオ戦略は、決して新しい特許戦略ではない。ジェイ・ウォーカーは、これを巧みに活用しただけである。パテント・ポートフォリオ戦略は古くは、RCA社によるカラー・テレビ技術、インテル社やTI社による半導体技術、IBMによるコンピュータのOS基本技術、イーストマン・コダック社によるカラー・フィルム、ポラロイド社によるインスタント・カメラ技術、最近では、ATTやモトローラ社の電話通信、デル・コンピュータによるカスタム・メイドのパソコン技術・・・様々な米国企業により活用されている。

パテント・ポートフォリオの起源は、世界大恐慌後のニューヨーク株式市場における大型投資機関が、投資効率を改善するために開発した株式ポートフォリオ戦略にさかのぼる。株式ポートフォリオ戦略においては、リスクの分散が目的であった。

パテント・ポートフォリオ戦略は、より攻撃的である。その基本的構成は次のとおりである。

第一に、企業における技術開発に際し、市場の動向に沿った長期事業計画(例えば、10年)を慎重に立案する。将来のマーケット・ニーズの正確な予測が重要なテーマとなる。

第二に、長期計画に従って、研究開発を重点技術に絞り込む。つまり、研究開発は、市場における将来性を有する技術に限定し、不要な研究は、一切除外する。必要な場合は、外部機関を利用する。

  第三に、重点技術に関しては、意識的に多数の特許を取得する。市場のスケールに応じて、特許出願数の目標を設定する。複数特許の間にギャップがあるときは、ギャップを埋めるための出願も怠らない。逆に非重点技術に関しては、特許は思いきって切り捨てる。

  第四に、取得した特許に関し、パテント・マップを作成し、他社の活動を監視する。模倣が発生した場合は、競業企業の能力、組織に応じて、警告、差止め、あるいはライセンス交渉等、最適の対応を計画的に立案する。場当たりの対応は回避しなければならない。

つまり、パテント・ポートフォリオ戦略とは、技術の市場における重要度に応じて、特許出願を差別化し、最小予算で最大収入を上げるためのプログラムと言うことができるであろう。

ジェイ・ウォーカーは、この戦略を使いこなすために、ウォーカー・アセット社の組織を効率的に作り上げた。無駄はいっさい見られない。従来の他社によるパテント・ポートフォリオ戦略とジェイ・ウォーカーによる戦略の違いを指摘するならば、それは全社的なパテント・マインドの徹底である。

ウォーカーは言う。「まず特許を取れ。それからビジネスを始めるんだ」(Get patents and start business.)

ウォーカー・アセット社の社員は全員、例外なく特許意識が高い。一人一人がパテント・ポートフォリオ戦略を追求する。だから、組織は小さいが、わずかの期間で、ビジネス特許の頂点を極めることができたのであろう。

日本企業の中でも、パテント・ポートフォリオ戦略を試みる企業が出始めた。日立、東芝、キャノン、リコー・・・この戦略は徐々に成果を上げるものと予測される。もし、日本企業が、ウォーカー・アセット社のごとく、全社的にパテント・マインドを高めることができるならば、驚くべき成果を上げることになると思われる。

3.特許収入を最大化するためのシナリオについて

ジェイ・ウォーカーが特許に本格的な関心を持ち始めたのは、1995年、つまり5年前に過ぎない。某特許弁護士との対話がきっかけであると言う。

高度に専門化された現在の特許実務の中にあって、5年の経験は素人の域を出ないではないか。わずか5年の間に何が起きたのであろうか。私は、この男の生き方に興味を持ち始めた。様々な角度から資料を検討した結果は、次の通りである。

ジェイ・ウォーカーの成功の秘密は、実は、この素人の発想にあるように思われる。

特許の基本概念を理解したウォーカーは、自分の経験に特許を重ね合わせてみた。彼が自信を持てるのは、少年の頃から身に付けたモノポリー・ゲームとコンピュータ、それに起業家として体験した株式会社設立とメール・オーダーのビジネスに限られる。

それらに特許の知識を重ね合わせたとき、驚くべき結果が生じたのである。

モノポリーは、アメリカの家庭では、きわめて人気の高いゲームであり、アメリカの子供達は、この遊びを通じて、ビジネスの基本を学ぶのが普通である。ホテルやレストラン等の企業の競業をサイコロを用いて争う双六を複雑にした知的ゲームは、大人も子供も楽しめる。ウォーカーは、モノポリーの持つ、ビジネス・リスクの擬似体験に夢中になった。遊びを超えた知識で必勝法をマスターし、チャンピオンを獲得した。ゲームの達人である。こうして彼は少年時代に、市場の原理、特に競業における独占の意味と、その実現法について学んだと言う。

次にコンピュータである。青年時代に普及し始めたコンピュータの世界は彼を魅了した。特にインターネットの出現は、ビジネスにおける時代の曲がり角を予感させた。

起業家としてのウォーカーは、小さなメール・オーダーの会社を設立し、軌道に乗せたところで株式を譲渡するベンチュア・ビジネスの基本を体験した。ベンチュア・キャピタルは、投資に際し企業のすべてを知りたがる。だが、通常企業は不利な事実を隠したがる。起業家ウォーカーは、逆にベンチュア・キャピタルの立場にたって、設立企業のすべてを開示した。情報公開である。この方針が受け入れられ、ウォーカーは、15社におよぶメール・オーダーの企業の設立に成功した。ここでは、いかにベンチュア・キャピタルにとって魅力ある企業を設立するか、そのポイントを身につけた。

ウォーカーは、これらの体験に特許を重ね合わせた。

まず、メール・オーダーを顧客最優先に変形した逆オークションとインターネットを組み合わせる。この事業を独占したい。そこで特許が登場する。だが、このままでは、事業資金が不足する。特許を資産として、子会社を設立すればよい。そこで出来たのが、プライス・ライン社である。情報公開を徹底し、ベンチュア・キャピタルから資金を導入しよう。プライス・ライン社は、ゼネラル・アトランティック・パートナーズから、2000万ドルベンチュア資金を導入することに成功した。プライス・ライン社の当初の株式は16ドル、1年後には、何と130ドルに急騰する。なお、ナスダックにおけるプライス・ライン社のコードは、PSLNである。

こうして、ウォーカーは、特許を中核として独占事業をスタートとするとともに、特許会社を設立して、当初の事業運用資金をベンチュア・キャピタルから調達した。さらに逆オークションに興味を示す企業からライセンス収入の実績を上げ、その上、将来のライセンス収入を武器に株式を公開して、市場の資金も導入することに成功した。

ジェイ・ウォーカーの成功は偶然の産物ではない。すべて計画的に進行した点で注目に値する。特許を資産とする子会社の設立、情報公開を活用したベンチュア・キャピタル資金の導入、ライセンス収入を活用した株式公開・・・彼の特許の活用法は、伝統的な特許実務家の発想を超えてダイナミックである。その新鮮な発想は、彼が伝統的な特許実務に拘束されることなく、自由に他のビジネスと融合させたところから出発したように思われる。

こうして、ウォーカーは、5年の間に、特許を最大限に活用することによって、何と資産1兆円を築き上げたわけである。彼ほど、特許の価値をあらゆる角度から活用し尽くした人物はいないように思われる。

4.訴訟戦略について

a.プライス・ライン対マイクロ・ソフト

1999年10月13日、プライス・ライン社は、米国特許第5,794,207号他2件、計3件のビジネス特許に対する権利侵害を根拠に、マイクロ・ソフトおよび子会社であるエクスペディア社を連邦地裁に提訴した。

プライス・ライン社のプレス・リリースに従えば、事件の経過は次のとおりである。

プライス・ライン社の株式上場が迫った1999年3月、ジェイ・ウォーカーとマイクロ・ソフト社CFOグレッグ・マフェイの間で、株式譲渡を含む特許ライセンスに関する交渉が重ねられた。市場価格を大幅に下回るマイクロ・ソフトの提示に、交渉は難航した。

同年夏には、マイクロ・ソフト社最高経営責任者ビル・ゲイツが自ら交渉を指揮して、ウォカーとの間で協議が続けられた。その間、ウォーカーは、逆オークション方式に関するネット・ビジネスの手法に関し、様々な情報を提示して、ライセンス契約締結に向けて力を注いだ。

ところが交渉は決裂、ビル・ゲイツは、プライス・ライン社の特許は無視して、ホテル予約に関する逆オークションを用いたネット・ビジネスを開始する旨通告した。ホテル・プライス・マッチャーと呼ばれるマイクロ・ソフト社によるネット・ビジネスは、基本的に逆オークション方式を使用しており、第5,794,207号特許の権利を侵害する可能性が高いものと思われる。常々、特許・著作権等の知的財産権の保護強化を唱え、コンピュータ・ソフトに関する特許、著作権を活用して、マイクロ・ソフト社を発展させたビル・ゲイツとしては、意外とも思われる方針決定である。

放置しておけば、他社も次々に逆オークション・ビジネスに参入し、市場は、回復不能な混乱に陥るであろう。ジェイ・ウォーカーは決断を迫られた。

今、最先端を行く米国企業による特許訴訟戦略は、基本的に二つに大別される。特許権を長期的、かつ効果的に活用するためには、中途半端は最悪である。いづれかの戦略を選択しなければならない。

b.第一の戦略

第一の戦略は、次の通りである。初めに弱小企業を被告として訴訟を展開し、早期に勝訴の判決を重ねた上で、強敵と対決する。理由は、弱小企業が被告とは言え、連邦裁判所における勝訴判決を得たとき、判例法上の効果により特許権の価値は強化される。このため、将来的な法廷闘争能力は確実に改善される。強敵との対決には有利である。

この戦略を用いて成功を収めた代表例としては、デジタル時計のコロン点滅技術に関する特許を保有するリファック社が著名である。段階的に複数の企業を相手に提訴し、ライセンス収入を挙げ、さらにそれを資金に次第に強力な企業と対決する。1980年代、総計1500社を超える企業を次々に提訴し、巨額の特許収入を得たリファック社の戦略は、その後の米国企業の訴訟戦略に大きな影響を及ぼした。

特許収入総計1200億円を得たと言われる個人発明家ジェローム・レメルソンによる戦略も、基本的にリファックによる戦略をモデルにしたものと見らることができるであろう。また、レーザー技術の基本特許を保有するパトレックス社は、この戦法を活用することによって、200社におよぶ企業からライセンス料を獲得したことで知られている。

c.第二の戦略

第二の戦略は、次の通りである。弱小の相手は当面放置し、最初から最大の競業企業を被告として提訴する。理由は、最大の敵を倒したとき、権利の評価は争う余地がない程に強化される。そのとき、弱小企業は戦わずして、競業を断念し、あるいは高額のライセンス料の支払いに同意するのが普通である。

この戦略の代表例としては、インスタント・カメラを開発したポラロイド社の特許戦略が著名である。ポラロイド社によるインスタント・カメラの市場が拡大したとき、イーストマン・コダック社が類似品をもって、市場に参入した。放置すれば、他のカメラ企業も間違いなく市場に参入する。そうなれば、ポラロイド社が生き残る可能性は疑問である。

ポラロイドは、最大の競業企業であるイーストマン・コダック社に正面から戦いを挑んだ。企業規模で遥かに劣るポラロイド社としては苦しい戦いであったが、1985年、連邦地方裁判所は、ポラロイド社の特許の有効性、権利侵害を認め、イーストマン・コダック社に対し、生産の差止め、製品回収、さらに1200億円という巨額の損害賠償を命ずる判決を下した。

この判決によって、ポラロイド社の特許の評価は絶対的なものとなり、他社はすべて、インスタント・カメラの市場への参入を断念した。この戦略が成功し、ポラロイドは生き残った。

d.対決―ジェイ・ウォーカーとビル・ゲイツ

ジェイ・ウォーカーは、第二の戦略を選択した。最大の強敵であるマイクロ・ソフト社を被告とする提訴である。苦しい戦いが予測される。この訴訟に敗れれば、逆オークション・ビジネスを基盤とするプライス・ライン社は立ち直れない深い傷を負うことになるであろう。弱小企業を被告として選択すれば、戦いは遥かに楽である。ウォーカーは、何故リスクの大きい道を選択したのであろうか。

最大の要因は時間であると言われる。逆オークション方式のビジネスを試みる弱小企業も存在する。これらの企業を被告として提訴すれば、プライス・ライン社としては、勝訴を得るのは困難ではあるまい。勝訴判決を重ねた上で、マイクロ・ソフト社と戦うのならば、リスクは遥かに小さくなる。だが、弱小企業相手の訴訟であっても、勝訴判決を得るためには時間がかかることを避けられない。平均2-3年におよぶ訴訟期間の間、マイクロ・ソフト社の活動を放置すれば、逆オークションの市場におけるプライス・ライン社のシェアは確実に低下し、企業としての勢いは衰えるであろう。仮に特許権の評価が高まったとしても、企業としての闘争能力が低下することは避けられない。

こうして、ジェイ・ウォーカーは、世界最大の財力と巨大な組織を有するビル・ゲイツに挑戦する道を選んだ。ウォーカーがマイクロ・ソフトとの対決の道を選んだ最大の要因は、前述の通り、時間であろう。だが、それだけだろうか。

ジェイ・ウォーカーの生い立ちをつぶさに観察するとき、そこには、別の要因が隠されているように思われる。

ブリッジのチャンピオンであった母親の血を引いた少年時代のウォーカーは、モノポリー・ゲームのチャンピオンになるまで熱中した。このとき、彼は企業の生存競争に関する論理を身に付けた。大学で経営学を専攻した後、起業家として、15に及ぶメール・オーダーの会社を立ち上げた経験の中で、コンピュータ技術とリスク・マネジメントを身につけた。1995年、特許の世界に触れたウォーカーは、本能的に特許の持つ将来性を直感した。

メール・オーダーで既に成功を収めながら、彼はさらに大きな飛躍を夢に見た。メール・オーダーとコンピュータ、それに特許を重ね合わせれば、そこには想像もできないような壮大なビジネスが広がるのではあるまいか。

こうして閃いたのが、逆オークションの発想である。従来と異なり、顧客主導の商売こそ、市場が長い間、潜在的に探し求めていたビジネスである。彼は確信した。

新しい市場の開拓は困難を極める。リスクは深刻である。だが、少年の頃から育んだウォーカーのチャレンジ精神は逆に刺激された。彼はメール・オーダーで築いた財産を投じて、プライス・ライン社を設立し、逆オークション・ビジネスにすべてを賭けた。

リスクは承知の上である。逆オークションの市場が有望ならば、強敵が出現するのは、当然の展開である。現に、世界最強のマイクロ・ソフト社が参入した。それは、プライス・ライン社が切り開いたビジネスがきわめて有望であることの証である。いづれ対決しなければならないのならば、今、ここで決着をつけよう。

ジェイ・ウォーカーは、無謀な博徒ではない。だから、強力なパテント・ポートフォリオの構築、そしてライセンス戦略、訴訟戦略・・・超一流の特許弁護士との協力による長期的作戦に基づいて行動する。時間という要因に基づいて、最強のライバル企業を提訴の相手に選んだことは間違いあるまい。

だが、彼の決断の裏には、時間という論理とは別の勝負に賭ける直感があったものと思われるのである。

マイクロ・ソフト社は、わずか20年の間に巨大な市場を確保した。コンピュータ言語の「ベーシック」に始まり、基本ソフトの「ウィンドーズ」、ワープロの「ワード」、インターネット・ブラウザーの「エクスプローラ」、表計算の「エクセル」・・・その規模は、米国政府が独禁法違反で提訴するほどまでに拡大した。その最大の武器となったのは、特許・商標・著作権・トレード・シークレット等の知的財産権である。ビル・ゲイツは、知的財産権を自在に扱って競業企業をねじ伏せた。

ビル・ゲイツ率いるマイクロ・ソフト社のマーケット・パワーは驚くほどに強力である。だが、そこに奢りはないか。

これまでにビル・ゲイツによって叩き潰されてきた企業の数は知れない。社員200名のプライス・ライン社は、マイクロ・ソフト社とは、組織の規模において比較にならない。ところが、今、ビル・ゲイツに向かって立ち上がった男は並みの男ではない。ジェイ・ウォーカーは、冷静な判断能力と経験を持った非凡な経営者である。それだけではない。並外れた情熱を持った人間である。逆オークションというまったく新たなビジネスをゼロからスタートさせ、社会生活に浸透させるところまで動かした能力と情熱は無視できない。

これらの資質を備えた人物が真剣になって立ち向かうとき、そこには底知れないパワーが生まれるものである。

ビル・ゲイツは、いづれジェイ・ウォーカーの持つ非凡な才能に気がつくであろう。ジェイ・ウォーカーの発するエネルギーは、ちょうどビル・ゲイツが経済界に登場したシーンを思い起こさせる。つまり、二人は同じ資質を備えた好敵手と見られるのである。

ビル・ゲイツとジェイ・ウォーカーの戦いは、将来の国際経済の動向を左右する歴史的な対決になるものと思われる。

ビジネスモデル特許の批判論は衰退

ビジネスモデル特許は、米国企業間に多数の大型係争を招いた。

特に注目を集めたのは、ワン・クリック方式によるネット販売で急成長を遂げたアマゾン・ドット・コム社である。アマゾンは、ビジネスモデル特許を素早く活用し、最大のライバル企業バーンズ・アンド・ノーブル社を提訴した。ところが、アマゾンの圧倒的勝訴は、産業界にビジネスモデル特許に対する深刻な危惧を招いた。ビジネスモデル特許によって業界は独占されてしまうのではないか。その結果、批判論が続出し実務は混乱に陥った。

米国ビジネスモデル特許は、今どこへ向かおうとしているのであろうか。

最近の米国企業、裁判所、そして特許商標局の動きをつぶさに考察するとき、混乱の見られた米国ビジネスモデル特許には、一つの方向性が見え始めたように思われる。ポイントは三つある。

第一に、ビジネスモデル特許を否定する批判論は、急速に衰退した。きっかけは、アマゾン社に敗れたバーンズ社の立ち直りである。バーンズ社は必死に設計変更に取り組んだ。その結果、ツウ・クリック方式を採用することにより、低迷していた業績は既に回復を見せている。ビジネスモデル特許があっても、独占は回避された。つまり、限りなく広く見えたビジネスモデル特許の権利範囲も、真剣に対応すれば、設計変更による競業が可能であることが実証されたわけである。

第二に、米国連邦裁判所と特許商標局のビジネスモデル特許に対する基本的対応は既に明確である。5月23日、特許商標局が発表したアクション・プランに従えば、ステート・ストリート銀行事件およびATT対エクセル事件における連邦裁判所判決に沿い、ビジネスモデル特許の審査に関するガイドラインが改正される予定である。そこでは、ビジネスモデルに関する発明は、他の発明(電気、機械、化学等)と同様、通常の特許要件(新規性、非自明性、有用性等)を満たす限り、特許を許される。また、審査の質を改善するために、通常の審査官の他、上級審査官による再確認を条件とする。

第3に、ビジネスモデル特許の対象となる発明分野の拡大である。いわゆるドット・コム関連企業を中心に展開を見せていたビジネスモデル特許は、今、明らかに裾野を広げ、新たな分野における展開が注目される。その中心となっているのは、(1)電子マネー、投資、決済をめぐる金融ビジネス、(2)配送、倉庫管理等の物流システム、そして(3)伝統的な製造業が導入する部品購入、修理、注文管理に関するネット・システムである。(完)


ビジネスモデル特許の活用法
     


ビジネスモデル特許に関しては、米国企業間の大型訴訟が続発したため、攻撃的な側面が強調されてきたように思われる。このため、企業では新しいビジネス方法の開発、そして出願をめぐる対立、そして競争が激化の一方である。だが、ビジネスモデル特許で成功を収めた米国企業の動きを詳細に観察するとき、少々意外な動きを見ることができる。

ライセンス契約あるいは譲渡によるビジネスモデル特許の友好的活用である。訴訟による企業間の対立は報道されて注目を集めるが、ライセンス活動や権利の譲渡は静かに潜行する。だからライセンス活動の実態はあまり知られていない。何故ビジネスモデル特許に関するライセンス活動が活性化したのであろうか。

米国ビジネスモデル特許出願は急増し、年間5000件に及ぶものと予測される。これらの中で権利者によって実際に事業化されるビジネス方法は、5%以下に限られると言われる。残りの95%は、他社が活用しない限り、防衛あるいは休眠特許として埋もれてゆく。権利者としては、休眠させるよりは、低額でも譲渡あるいはライセンス契約による特許の活用は魅力である。だから、大半の権利者は、ライセンスに関心を持つものである。

逆に非権利者の立場から見るとき、自社で開発できるビジネスモデル特許の数には限界がある。開発に要する時間と資金も負担が厳しい。

埋もれた特許の数は増え続ける。それらの中には価値ある特許も確実に隠されている。優れた休眠特許を低額で譲り受け、あるいはライセンスを受けて企業化できれば、時間と資金は確実に節約することができる。先見性のある米国企業がそこに眼をつけた。だから今、ビジネスモデル特許をめぐるライセンス活動は、深く静かに、しかし確実に進行している。

米国ビジネスモデル特許に関し、最も攻撃的な訴訟活動で成功したと見られるのは、ワンクリック方式Eコマースのアマゾン・ドット・コム社、逆オークションのプライス・ライン社、そしてハブ・アンド・スポーク方式投資システムのシグネチュア・フィナンシャル・グループの3社である。実は、これらの3社は、いづれも訴訟以外の友好的なライセンス活動、そして権利譲渡においても最も活発な企業なのである。

つまり、攻撃的な訴訟と友好的なライセンス活動・権利譲渡のバランスがとれた戦略を組むことができるとき、ビジネスモデル特許は、最も効率的に活用されるものと思われる。


ビジネス・モデル特許:日米の相違

(1)技術とアートについて

 ビジネス・モデル(BM)特許において先行する米国企業に対し、追う立場の日本企業も積極的に取り組み始めた。だが一部の企業の間には否定的な見解も根強く残る。

日本特許法に従えば、「発明とは自然法則を利用した技術的思想の創作のうち、高度のものをいう」(第2条)と定義される。E-コマースや金融システムのビジネス方法を「自然法則を利用した技術的思想の創作」と呼ぶには抵抗を覚えるのが当然であろう。だからBM特許に対し否定的な立場をとることは不思議なことではない。

日本特許法における定義は、英国法を源流とする立派な文理で構成される。従来は実務的にも機能した。だがBM特許を機に、この立派な定義が逆に規制となって実務を悩ませる。

これに対し米国特許法は、発明に関する明確な定義を置かない。その理由は、発明の本質を意外性と認識するためである。米国における発明の原点を求めれば、連邦憲法において、発明は広く「アート」と表現される。

それでは「アート」とは一体何であろうか。米国で最も信頼されるWebster社の辞書に従えば、アートは、次の事項を含む概念である。(1)物をつくる人間の能力、(2)自然界と異なる人間の創造性、(3)技能・芸能、(4)人間の創造性により創生された作品、(5)学習。つまりアートとは、「自然ではない人間による創造」という開放的な概念である。そこには「技術的思想」のごとき明確な限定条件は見られない。だから米国の特許実務は、BM特許に対する抵抗感が希薄である。

            米国憲法が、発明の本質を表現する用語として、限定的な「技術」に代えて開放的な「アート」を選んだのは、独立宣言の草案者であり、後の第3代大統領トーマス・ジェファーソンと言われる。彼は一流の発明家としても知られた人物である。

BM特許の種は、トーマス・ジェファーソンによって蒔かれたと言うことができるのではあるまいか。

2)進歩性(Obviousness)と非自明性(Inventive Step)について

日米特許制度を対比するとき、そこには実務における基本的な差異があることを無視できない。しかも中には、あまりに基本的であるため各国当事者が見逃しがちな相違点も少なくない。

まず、前項において指摘したとおり、発明の本質を限定的な「技術」と見る日本、そして開放的な「アート」と見る米国、この差異はあまりに基本的であるために見逃されがちである。発明の基本的認識から調整することが、真の世界特許の構築のためには不可欠なテーマとなる。

次いで、整合性を求められるのは、特許要件としての「進歩性―非自明性」の概念である。英国法を源流とする「進歩性」の概念は、日本の特許実務に深く根を張っているように思われる。だから日本の実務家は、発明に進歩性がないかぎり特許不能と自動的に判定する。

米国の実務は異なる。「非自明性」という要件は、「進歩性」と概念的に類似するが、発明の非自明性にとって「進歩」は十分条件であって必要条件ではない。

米国はなぜ「進歩性」を特許要件として求めなかったのであろうか。判例法を基本的法源とする米国実務は、長い経験の中から、技術的に進歩していなくとも有益な発明が存在しうることを認識したのである。例えば、公知技術と同レベル(技術的に必ずしも進歩していない)の発明であっても、代替技術の存在は、既存の特許との間に競争原理を導入し、その結果、産業は活性化されるであろう。また、仮に純技術的に見れば退歩した発明であっても、単純な構成、部品点数の削減、価格の低下を可能とする発明は、産業の発展に貢献する可能性を秘めるであろう。

真の世界特許を実現するためには、これらの基本的な認識の差異を調整することが前提となる。「進歩性―非自明性」のごとく、あまりに基本的な常識の一部を形成する差異を整合するのは意外に時間を要する。

今、ビジネス・モデル特許に関する論議を機に、これら各国特許の常識に属する部分を見直す時期がきたように思われる。



ビジネスモデル特許への対応

ステート・ストリート銀行事件

            1998年7月、米国連邦高裁は、大型投資管理に関するビジネス方法に特許を認める画期的な判決を下した。ステート・ストリート銀行事件と呼ばれるこの判決は、経済界にとって一つのターニング・ポイントとなったようである。事実その後、ビジネス・モデル特許を主役とするアマゾン・ドット・コム、プライス・ライン社、デル・コンピュータ社等の急成長が経済界に与えた刺激と影響は、計り知れないものがある。

            いわゆるE-コマース関連企業が先導する形で始まったビジネス・モデルの開発競争は、急速にその範囲を広げ、次々と新たな形態のビジネス方法を生み出し始めた。この動きは、米国に限らず、日本そしてヨーロッパ諸国の経済活動にも影響を見せ始め、ビジネス・モデル特許をめぐる大型訴訟が続発した。

            特に注目を集めたのは、ワン・クリック方式のE-コマースで急成長を遂げたアマゾン社によるバーンズ・アンド・ノーブル社に対する提訴である。この事件は、昨秋、驚異的なスピード審理で仮処分決定が下され、アマゾン社はワン・クリック方式に関するビジネス・モデル特許で最大のライバル企業をねじ伏せた。

            ところが、アマゾン社の圧倒的な勝訴判決は、経済界にビジネス・モデルに対する深刻な危惧を招く結果となった。ビジネス・モデル特許の権利範囲はあまりに広すぎる。産業がビジネス・モデル特許によってすべて独占されてしまうのではないか。このため激しい批判論が渦を巻き、今春にはアマゾン社に対するボイコットにまで発展した。ビジネス・モデル特許の行方は不鮮明となった。

            だが今、批判論は急速に陰をひそめ、ビジネス・モデル特許は長期化の様相を呈する。なぜだろうか。

            きっかけとなったのは、アマゾン社に破れたバーンズ社の以外に早い立ち直りである。バーンズ社は、アマゾン社の特許権を回避するために必死で設計変更に取り組んだ。ワン・クリック方式がだめならば、ツゥ―・クリック方式ではどうだろう。このあまりに単純とも思える設計変更を試したところ、ユーザーの反応は驚くほどに良好であった。低迷していた業績は、既に回復した。限りなく広く見えたビジネス・モデル特許であっても、真剣に対応すれば設計変更による競業の余地があることが、バーンズ社の経験で実証されたわけである。

            他社が優れたビジネス・モデル特許を持つならば、さらに優れたビジネス方法を考案し、互いに切磋琢磨すればよいではないか。米国経済界における認識は、ビジネス・モデル特許を積極的に活用する方向に向かい始めた。

            その中にあって、特に激しい動きで注目を集める分野が三つある。

第一に、電子決済、ローン管理、そして投資システム等の金融ビジネスである。中でもシティ・バンクの開発した電子マネー・システムは、その高度の管理技術と実用性、そして強力なパテント・ポートフォリオで未来の世界金融ビジネスを先導するものと予測される。シティ・バンクの狙いは、電子マネーの標準化であろう。これが実現するとき、シティ・バンクは、世界の金融活動の中核を占めることになる。ちょうどマイクロ・ソフトが世界のコンピュータの基本ソフトを掌握したように。

第二に、ビジネス・モデル特許は、伝統的な製造業者を動かし始めた。特に、部品調達、修理管理、そして資金回収に関する無駄な経費と時間は、ビジネス方法を工夫することによって驚くほどに改善される。現に、デトロイトのビッグ・スリー、ゼネラル・エレクトリック社、コカコーラ社等は新たなビジネス方法を採用することにより、大幅な経費節減を実現した。これらの企業は、部品調達に関する優れたビジネス方法を導入することにより、約30%に及ぶ経費の節減に成功した。トヨタ自動車によるカンバン方式の特許化は、日本の製造業によるビジネス・モデル特許の代表である。この動きに乗り遅れるとき、製造業が生存競争に生き残ることは困難であろう。

            第三に、意外なところで、トラック、飛行機、貨車による配送および倉庫業に関する物流システムが興味を引く。トラック輸送に例をとれば、日本の市場規模は、何と12兆円に達する。ところが、伝統的な輸送業界の構造では、帰路の空車率は約50%と異常に高い。事情は、貨車、飛行機も同じである。この無駄はコンピュータ管理を導入することにより解決可能であろう。世界の大手企業がこの課題に取り組み始めた。だが、この分野では、日本の某ベンチュア企業がすでに30件に及ぶパテント・ポートフォリオを構築して先行する。組織は小さいが、ビジネス・モデル特許に賭ける意気は高い。逆オークションで一躍名を挙げたプライス・ライン社の日本版といったところである。倉庫業に関しては、専門のEMC社の株価が過去6年間で600倍にまで急騰した事実を背景に、IBMとサンマイクロ・システムのごとき大手が最先のコンピュータ管理技術を武器に倉庫業に参入した。

            ビジネス・モデル特許は、今始まったばかりである。だが、そのあまりに急激な社会変化を短期の一過性の現象と見る伝統的な企業も少なくない。もし嵐のごとく過ぎ去って行く現象ならば、首をすくめて去るのを待てばよい。だが、先行する米国の動きを観察するとき、ビジネス・モデル特許は、歴史のターニング・ポイントとなって、長期的に世界経済を先導するものと予測される。世界の経済構造は、今、確実に変化の途上にあるものと思われる。

            世界の歴史はこれまでに同種の体験を重ねてきた。18世紀の英国では、それまで禁止されていた方法に関する発明に特許が与えられた。米国では、1900年代の電気回路、1980年代には、微生物(バイオ)、そしてコンピュータ・ソフト…それまで特許を禁じられていた発明に特許を許すべきかいなか、いづれも激しく争われた結果、特許が認められた。これらの発明が産業を活性化し、さらに新しい産業の誕生を生み出したことに疑問の余地はあるまい。

            今、ビジネス・モデル特許は社会の認知を待っている。

変化に目を閉じて、じっと待つ企業、あるいは戸惑いながらも、ビジネス・モデル特許に真剣に取り組む企業。果たして、どちらの対応が正しいか、歴史が明らかにするのは意外に早いのではあるまいか。

            「自然の選択による種の起源」で進化論を唱えたチャールス・ダーウィンは、こう述べた。

            「この世で生き残る生き物は何だろう。一番強い奴か、あるいは頭の良い奴か。いや違う。変化に対応できる生き物だ」

                                 米国における企業と大学の知財活動

        イントロダクション

            2002年における企業別米国特許取得件数に関する上位239社が発表された。国際的知財活動における中核をなす米国特許の取得リストを分析すると、世界の企業の知財における活動状況の移り変わりが鮮明に見えてくる。

            日本企業を全般的に概観すれば、上位239社中65社(27%)を占める。本国米国の115社(48%)と合わせれば、日米2ヶ国で75%と圧倒的である。逆に、他の諸外国をすべて合計しても25%にすぎない。

            特に、上位10社で見れば、6社を日本の電子関連企業が占めており、技術競争力の維持に貢献しているものと解される。権利の取得件数から見る限り日本企業の活動状況は、高く評価すべきであろう。

            今回のリストを国別で見る限り、過去5年間に大きな動きは見られない。だが、企業別、業種別に分析すると、注目すべき変遷をうかがうことができる。日本企業の将来の知財活動にとって有効なヒントが隠されているように思われる。具体的に考察してみよう。

 

        米国先端企業

            まず注目されるのは、IBMである。プロ・パテント政策が定着した1990年代初頭以来、IBMの知財活動は積極的な拡大を続け、米国特許取得件数における第一位の座を譲らない。今回公開された件数は、何と3,333件である。第二位のキャノンの1,895件と比較すれば、その圧倒的な優位性は明白であろう。

            IBMが知財の拡大戦略を長期的にとり続ける理由は三つあるように思われる。

            第一に、知財による直接収益である。1990年当時、約30億円と見られた知財関連収入は、2002年には、約1500億円まで増大したものと推定される。利益率が極めて高い知財の売り上げとしての1500億円は、ハード製品の売り上げに換算すれば、3兆円を超える売り上げに相当する。

            第二に、技術情報を入手するための手段としての知財活動である。IBMは、基本的に自社特許を公開し、適正な料率でライセンスを他社に供与する。ただしライセンス契約に際しては、相手方からの技術情報の供与を条件とする。このため、IBMの特許の恩恵を受ける代償として、世界中の企業の技術情報が常にIBMに流れ込む。だから、IBMは常に世界の情報の中心に位置することが可能となる。

            第三に、デファクト・スタンダードを構築するための手段としての知財活動である。動きの激しいハイテク技術の業界において、長期的に頂点を維持するためには、デファクト・スタンダードを構築し、維持する戦略が最も確実である。抜群の技術開発力に強力なパテント・ポートフォリオがかみ合ったとき、その企業の技術は、デファクト・スタンダードとなって、長期的に業界をリードすることが可能となる。

            次いで注目すべきは、マイクロソフト社である。同社は、ソフトウエアを主力商品とする企業の性格上、著作権を中心とし、特許についてはあまり積極的でないことで知られていた。ところが、2000年代に入ると戦略を一変し、特許活動に積極的に取り組み始めた。その成果として、今回一挙に34位(499件)に登場した。また今秋、同社は特許を原則として公開、安価な料率でライセンスを供与する方針を明らかにした。

            マイクロソフト社が採用を表明した知財戦略は、明らかにIBM戦略の踏襲である。特に、情報の収集、そしてデファクト・スタンダードの構築によって同社商品の長期的安定化を指向するものと推測される。同社は現在、パソコン用のソフトに限らず、自動車関連製品のコンピュータ化に取り組んでおり、ソフトとハードを組み合わせた商品群のデファクト・スタンダード化に力を入れているように思われる。自動車のコンピュータ化が一段落した後に来るのは、住宅のコンピュータ化と推察される。同社の知財戦略は、今後特許を中心にさらに強化されるものと思われる。

            知財活動に積極的なIBM、マイクロソフト社と対照的に、少々遅れが気になるのは、アップル・コンピュータ社である。233位(76件)とIBMとの落差が甚だしい。独特の技術力で評価される企業としては、長期的な知財戦略に少々懸念を抱かざるをえない。

           

        大学の知財活動

            日本では大学による知財活動の活性化が話題を呼んでいる。そのモデルとなっているのは、米国の大学である。彼らの活動状況を検討してみよう。

            まず、上位239社中に名を連ねているのは次の6大学である。カリフォルニア州立大学(第37位:466件)、マサチューセッツ工科大学(MIT:第116位:152件)、カリフォルニア工科大学(CalTech:第156位:117件)、スタンフォード大学(第162位:110件)、テキサス州立大学(第167位:104件)、ジョンホプキンス大学(第180位:95件)である。

            これらの中で特に注目されるのは、6大学中3大学がカリフォルニア州に集中している事実である。ここでも理由は、三つあるように思われる。

第一に、産学協力体制に適した立地条件である。シリコン・バレーを先導するスタンフォード大学が上位に位置するのは当然ながら、カリフォルニア工科大学はロサンゼルス市の近郊パサデナ市にあって、カリフォルニア中部地区の電子・コンピュータ周辺機器関連企業と密接する。カリフォルニア州立大学の中では、サンフランシスコ市の近郊バークレー市にあるバークレー校(UCB)は、シリコン・バレーを含むカリフォルニア北部企業との連携、ロサンゼルス校(UCLA)は、カリフォルニア工科大学とロス地区で競い合い、サンディエゴ校(UCSD)は、サンディエゴ近郊で急成長するバイオ産業と密接な関係を保っている。青色発光ダイオードの研究で知られる中村修二教授の在籍するカリフォルニア州立大学サンタバーバラ校(UCSB)は、サンフランシスコとロサンゼルスを結ぶ地区の企業と多く連携する。

            第二に、企業と大学の間の人材の流動性である。米国の大学教授職は、常に企業の高級研究職との交流の可能性に恵まれている。現に相互の交流は至極活発である。このため、大学に居ながら企業の求める技術の方向性を正確に掌握することが可能である。つまり大学と企業間における研究テーマに関するずれが少ない。だから大学の取得する特許発明は、企業の欲する技術に直結する確立が高い。その結果、事業化の確率の高い特許に的を絞って所得することが可能となる。人材交流は、産学間に限られない。行政・司法を含め、官民の間の交流は常に活発である。

            第三に、企業から大学に対する研究委託制度の充実である。米国の大学における教授職は、一種の事業部制をとる。つまり、教授は半ば独立した研究組織の代表として諸企業と交渉の上、委託研究を受任する。だから大学教授といえども、ビジネス感覚を磨くことが求められる。教授間の競争も激しい。負担は厳しいが、この競争に鍛えられた教授達の事業能力は、企業経営者に見劣りしない。当然ながら、特許を初めとする知的財産権に対する見識も半端ではない。

 

        まとめ

            日本企業の国際的知財活動を米国における特許取得数で見る限りにおいて、量的には申し分の無いレベルに達したものと思われる。技術の質的に見ても、近年の充実ぶりは高く評価すべきであろう。特に電子、通信、自動車関連技術においては、世界のトップレベルにあることは間違いあるまい。さらに、特許を取得するための出願実務に関する日本企業の能力も格段に向上した。

            それにもかかわらず、日本企業の特許収支は、米国企業に大きく遅れをとる。原因は、個々の特許取得や権利行使活動を超えた長期的な知財戦略に関する知識・経験の不足にあるように思われる。どうすれば、知財を真の企業財産として最大限に活用することができるのだろうか。

            最も確実なヒントになるのは、先導するIBMとマイクロソフト社の指向する長期的な知財活用戦略であろう。もう一つ、それは大学との連携作業の改善である。これまで十分に活用されていなかった日本の大学組織の中には、埋もれたままの金の卵が隠されているように思われる。

  

米国特許取得企業上位30社

 順位   企業名  件数   
1       IBM                        3,333       
2       キャノン                   1,895  
3       マイクロン              1,833     
3       NEC                       1,833
5       日立                       1,616  
6       松下                        1,566 
7       ソニー                      1,456 
8       GE                           1,417      
9       三菱電機                 1,408    
10      三星電子                 1,329    
11      富士通                   1,263    
12      東芝                         1,171
13      AMD                       1,154
14      インテル                  1,080   
15      HP                          1,065       
16      フィリップス              848       
17      モトローラ                736
18      TI                             724
19      ゼロックス               701
20      フジフィルム            695 
21      コダック                   694      
22      シーメンス               691
23      ボッシュ                   683      
24      ホンダ                     682      
25      ルーセント               672
26      デルフィ                   646
27      エプソン                   633      
28      シャープ                  552       
29      3M                         542    
30      デンソー                 513
 


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